後、昔の同窓会名簿を見て感じたんだけど、玉高の同窓会名簿はかなり空欄(大学や職業を掲載していない)が多い。そんな中で医師・歯科医・獣医で10人を超えている学年が結講ある。空欄になっている人で医師や歯科医という人を何人か知っているから、もっと多いのではないかと思う。地方の進学校としてはかなり凄くないですか?
成績不振でも、俺がガチになったらこんなもんじゃないぜ、と思っているそこの君。
9月だぜ。
大丈夫!
ホメホメ大作戦で褒めてのバフ!
これで北高も東稜も最高の結果になりました!
進学実績より自己肯定感が大事です!
褒めまくる事が必要です!
付箋を貼りまくってやった感を出してれば褒めまくる事が重要です。
どこかの指導主事やスーパーティーチャーがよく研修でやってますからそれを応用すれば完璧です。
そもそも学区で5番手6番手の学校に高い進学実績を期待するのは酷ではないでしょうか
少なくとも特進は結果を出さないと水俣や菊池みたいに無惨な姿になる。あの菊池が今や…人権バカの教師を集めた結果あのような状況に…
自分的には、あの三池がっていわれると分かりやすい
水俣は鹿児島県出水市にある出水中央高校のせいで深刻な定員割れに。
つまり生徒が集まらなくなると没落していく
大丈夫です!
松尾先生が管理職ですから!
長年県の指導主事をされてきた大先生!
ご専門の教科は県内どこもボロボロらしいですが、きっと松尾先生が認めた思考力の高い優秀な若手がお休み中なんだと思います。
松尾先生は思考力を重視すると熱弁されていまして、生物は暗記科目ではない!思考力を問う科目です!といつも仰っていました。
やはりこういう方が採用するとレベルが違う優秀な人が出るんです。
玉名は羨ましい限り。高い思考力で難関大も余裕でしょう。
玉名高校の人材排出力は結構、凄くありませんか?今度の崇城大学の学長も玉名高校卒業だし、熊本大学の工学部長もそう。熊本地裁の総括判事も玉名高校卒業だし、前の熊本市立病院の院長もそうだ。県の教育委員会の理事や審議員、主幹等も卒業生。県外を見ても九州大学の教官が10名近くいる。武庫川女子大学の学長や前の埼玉県の弁護士会の会長もそう。新しくオウム関係の映画が放映されるらしいけど、その映画に出演する横浜弁護士会の副会長も卒業生。これだけの多彩な人材を排出してきた高校も少ないのではないだろうか。
八高も玉高も凄い。
だからアクティブラーニングなどいらない。
昔みたいに優秀な先生集めて実績出せば良い。
九州大学合格者数ランキング(郡部)
玉名高校・621
八代高校・555
宇土高校・246
人吉高校・240
天草高校・164
(参考)
第一高校・129
第二高校・343
玉名高校vs八代高校(国公立大学合格者数・昭和46〜平成10)
玉名高校・5597人
八代高校・5270人
玉名高校の21勝6敗1分
玉名高校vs人吉高校(国公立大学合格者数・昭和50〜平成15)
玉名高校・5772人
人吉高校・2741人
玉名高校の29勝
無意味な比較、、、、、
知性のかけらもない
いや〜なもんを目にしてしまった
昔の先生は変人も多かったが賢い方々も多かった。
時々とてつもなく優秀な先生もいらっしゃった
地域の生徒数が少なくなったから学力が落ちただけではなくて、
地域の学校に優秀な先生が配置できなくなっていると思われる。
進学校には九大卒以上の先生など優先して配置してもらえないのだろうか。
平成17年発行の名門高校人脈より
(九州の郡部で掲載がある高校)
玉名高校・旧帝大18名
鳥栖高校・旧帝大15名
諫早高校・旧帝大14名
都城泉ヶ丘高校・旧帝大12名
佐世保北高校・旧帝大9名
何で玉名高校はこの20年でこんなに凋落したんだ?
昔は各中学校の一番も迷わず玉高を選んだ。
熊本市内に熊高や済々黌といった進学校があるのは知っていてもそれは遠い熊本市内のことで自分が毎日通う高校としては捉えにくかった。
昴が玉名に進出してきた頃から流れが変わった。
高校進学塾大手の昴は学習塾経営の王道を展開した。
生徒を集めるには地域一番高校の熊高の合格者を出すこと。一人でも多く。
熊高3人合格は玉高30人合格以上の価値が学習塾にはあるのだ。当然、熊高に受かりそうな生徒には熊高を薦めることになる。やや足りない生徒には済々黌を、さらにやや足りない生徒には第一を薦める。玉高など眼中にない。なぜなら学習塾には四高合格者何人という別の目標もあるからだ。玉高など薦めるわけがない。
そして玉名が地政学的に熊本市内の高校に通おうと思えばどうにか通える、通えないこともないというところにあることだ。このようにして国立大学に合格していくような生徒がどんどん熊本市内の高校に行くようになってしまっているのはではないか。学習塾の方々には何ゆえに県が付属の中学を設置したのかを考えていただきたい。夢を叶える為には熊本市内の高校にいかなければ、玉名では無理だなんてみんなが思うようになったらたいへんだ。
塾の影響もあるが中学の先生達が玉名高校を勧めているか疑問。できない先生達が生徒の可能性を潰す悪循環になっていると思う。
先生達が当てにならないと感じた生徒が中学で塾にお世話になり、その言いなりで熊本市内に進学先を決めてしまうのはしょうがない。何故ならきちんと勉強教えてくれる人達からの言葉の方が説得力ありますから。保護者もおなじですよ。
そう考えると、昨年の様に現役で245名中86名が国公立大学に進学している状況は福岡県の三池高校などに比べれば断然、健闘しているのかもね。
熊本市内の高校を受験するように薦めるのは生徒の為というより塾の都合による場合が多いのではないかと思っている。生徒や保護者の負担は考慮されているのだろうか。
また、大学を受験する際の学力は熊本市内の高校に行こうが玉高に行こうが結果は同じだと思っている。
これは、玉高だけじゃなく八代、人吉、天草高校から東大や医学部に合格する生徒もいるからだ。
彼らが熊本市内の高校に行ってたらもっと伸びていたのだろうか。それぞれに地域の誇りでもある高校である。
優秀な中学生には玉高で上位を維持して難関大学突破だ!ぐらい言ってほしいもんだ。
昔、大学時代に歴史学の教授に聞いた話だけど、旧制中学時代、一高、陸士、海兵、東京高師、広島高師、同文書院が難関中の難関だったそうな。旧制中学の1回生からこの6校全てに合格者・進学者を出したのは日本全国でも旧制玉名中学(玉名高校)のみだそうだ。後、毎期45名程しか卒業生が居ない時代に10回生までで72名も医学部・歯学部に進学したらしいから余程、昔の玉名は優秀だね。
戦後も国公立大学合格者数が九州全体の郡部で150名、200名、250名と真っ先に突破したのが玉名高校だった。一郡部の進学校なのに地元の熊本大学に合格者が80名超えとか驚異的な合格者数だったろう。まあ、最近は進学塾の影響で後退しちゃってるけどね。
人権教育と部活動が大好きな教員のお陰ですね。菊池と同じですよ。あとは優秀な人達は皆んな外に出てしまって残ったのはできない人達ばかりという事も言えると思います。
>熊本市内の高校を受験するように薦めるのは生徒の為というより塾の都合による場合が多いのではないかと思っている。生徒や保護者の負担は考慮されているのだろうか。
また、大学を受験する際の学力は熊本市内の高校に行こうが玉高に行こうが結果は同じだと思っている。
熊本高校
・高2で英検準1級推奨
・宿題でふつうに英文の
小論文書かされる
・CNNニュースやTEDがふつうに試験に出る
・高2の秋から超難関大対策の添削が全ての教科で開始
・昼休みの物問研などは生徒が押しかけ超満員
・参考書類は超難関大受験を見据えたものを配布(ムズい)
・東大レベルの校内
模試・どんなにレベルの高い問題の質問をしても必ず教えてくれる先生たち
ただし、これについていくか落ちこぼれるかは自分次第。
こんな環境だから優秀な子は自ら求めて飛び込んでいくんです。
まあ、昔の玉名高校が凄すぎたのかもしれないね。熊本県で第5の都市の高校なのに、九州の郡部で国公立大学合格者数が150名、200名、250名と真っ先に突破とか普通は有り得ないだろう。調べて見たけど、熊本大学合格者数も昭和48年・78名、昭和54年・81名、昭和58年・82名、昭和62年・80名、平成2年・82名、平成9年・83名だった。生徒数が普通科だけなら約400名の時代だから他県の県庁所在地のトップ校とも割合に直したら国公立大学合格者数では同等だった。あの頃みたいにするにはもっと優秀な教員を郡部の高校にも配置する事が肝心かもね。ただ、現在みたいに熊本市志向の状況では難しいかも。
今の玉高は、共通テスト合格ライン95点ですね。
その通りだから仕方がないけど、私(平成5年卒)みたいに玉名高校の全盛の時代に卒業した人間から見たら寂しいね。あの頃は九州大学合格者数も九州全体の郡部で1位だった。昭和62年・20名、平成2年・20名、平成5年・23名という感じに。済々黌との比較でも昭和60年みたいに東大・京大の合計人数で上回ったりする事が何度もあった。そんなに前では無い平成19年も生徒数が100名以上多い済々黌と九州大学合格者数で張り合っている。済々黌・26名、玉名・17名。やはり、他の方が言う通り、近年は進学塾の弊害だね。余りにも熊本市の高校を薦めすぎ。
思考力の高い管理職がいるから大丈夫ですよ。
ICTやらアクティブラーニングやら駆使して北校みたいにしてくれますよ。
日本中の高校で平成の初頭は国公立大学合格者数が300名近くて、今現在は定員を確保するのにも苦労しているような高校は存在するのだろうか?解らないからあくまでも想像の域を出ないけど自分は無いと思う。それならば、何故そこまで玉名高校は落ちぶれたのだろうか?本当に熊本市志向だけが原因なのだろうか?国公立大学合格者数が300名近い頃に玉名高校関係者が慢心したとかは無いのだろうか?平成の初頭に九州の郡部で国公立大学合格者数1位を競い合っていた(玉名高校の方が優勢だった。)長崎県の諫早高校は現在も堂々たる進学校だ。玉名高校の落ちぶれ方は異様だね。
熊本県の教職員に
こらむつかしか、いっちょんわからん
とか言って
逃げる先生いるのかな
上位層がどれだけ熊本市に抜けているのだろうか?平成17年度の九州大学合格者数17名は九州の郡部全体で1位だ。それから約20年後の今、九州大学合格者数は大体一桁代になっている。熊本大学合格者数は30名は超えているみたいだから、上位層の質が下がっている(九大→熊大)みたいな感じで。自分たちの頃は九大が無理だと広島大学を選択する人が結講居た。まあ、子供の数が激減している地区だから定員を減らすのも考えるべきかもね。
まあ、無理だろうけど自分の頃(昭和の終わりから平成の初頭)の様に国公立大学合格者数の割合が7割台から8割台という超進学校に戻ることを願うばかりです。進学塾の弊害が無くなる事を願います。
そんな事より特進クラスは順調かな?東大や京大は出るだろうか?出て欲しいね。
そう云えば、これも大学の歴史学の教授に聞いた話だけど、旧制玉名中学は開校から大正の終わりまでで、陸海軍の学校に40名以上が進学して、当時の校長が名校長と謳われたそうな。軍隊の最高峰の海軍大学校にも4名が進学したとの事だった。私も特進クラスに期待します。頑張れ、現役生・浪人生。熊本市の高校になんか負けるな。
ある九州の高校の名簿(旧制中学時代)を見ると、1回生から10回生までで26名が陸軍士官学校に進学していました。
また、大正の終わりまでで、陸軍士官学校・陸軍経理学校・海軍兵学校・海軍機関学校・海軍経理学校に40名以上が進学していました。最終階級は陸軍が大佐以上に昇進された方が11名、海軍が8名いました。最高位は陸海軍共に中将です。
また、1回生から10回生までで医学部・歯学部に進学された方は72名いました。11回生・6名、12回生・9名、13回生・12名、14回生・6名、15回生・10名、16回生・11名と云う感じで医学部・歯学部に進学しています。
また、1回生(27名)から一高、陸士、海兵、東京高師、広島高師、同文書院全てに合格・進学者を出していました。
これらの実績は当時の旧制中学としてはどれぐらいの位置なのでしょうか?
また、戦後(高校)は九州の福岡県と県庁所在地以外では真っ先に国公立大学合格者数が150名、200名、250名と突破しました。国公立大学合格者数が1番多い年度は300名が国公立大学に合格しました。昭和50年代の中頃に200名を超えて、黄金期を迎えた昭和62年頃から国公立大学合格者数が250名を超えている感じです。地元の国立大学には多い年度で80名以上の合格者を出しています。九州大学合格者数累計も県庁所在地以外では1位です。また、平成17年発行の名門高校人脈という本でも九州の郡部で掲載がある高校では旧帝大合格者が18名で1位になっています。現在でも現役で4割以上の生徒が国公立大学に合格しています。
これらの実績は全国単位で見たらどれぐらいでしょうか?
このような質問が知恵袋にあるけど玉名高校の事じゃないの。
因みに回答はこんなのが。
現代で言うと
偏差値70〜75クラスの学校ですね。「九州の福岡県以外で県庁所在地じゃなく、しかも郡部にあり、戦前の旧制中以来の伝統校」って、そんな学校どこにあるんですか?郡部の進学校なんて長崎の青雲くらいしか思いつきませんが私立だし、戦後の創設です。
いずれにせよ大変な名門校ですね。
ちなみに私の父(もちろん故人)は東北の小都市の旧制中出身で、昭和十年頃に自身は東京高師に進み、それだけで地元新聞に載ったくらいですが、約60名の卒業生のうち高等教育機関に進学したのは、東京高師(自分)含めて二高に1名、陸士に2名、都合4名だったそうです。まあ、旧制中としては底辺高でしょうが、当時は旧制中を出たというだけで田舎じゃエリートですから旧制高や東京や広島の高師、陸士、海兵に行くだけで超エリートです。
お話の学校は昔も今も全国でも有数の進学校であることは間違いありません。とてもレベルが高いですね。済々黌と言いたいけ郡部じゃなくて熊本市内だし、、、
やはり玉名高校は凄いな。
あー、何年もここに貼り付いて同じことばかり書いては全く賛同が得られてない人だー!まだ居たんだ〜〜
> 現在でも現役で4割以上の生徒が国公立大学に合格しています。
玉名高校の2023年卒業生245名のうち、国公立大学現役合格者は86名です。現役での合格率35%、4割に届いていません。
2022年は、卒業生223名のうち、国公立大学現役合格者は72名です。現役での合格率32%、この年も4割には届いていません。
「現在でも」とは、いつのことでしょうか?
2023年】共通テスト60%合格ライン
熊高 197点
済々 180点
第二 162点
第一 153点
玉名 101点
熊本市内四高の合格者数をライバル塾と競うのは熊本市内でやってください。玉名で数を稼ごうという発想は姑息です。
玉名に塾が無くなったら、玉名の優秀な子は絶望するやん。なにが悲しゅうて高校まで玉名くんだりに留まらなきゃならないのか。
塾では受けられないアクティブラーニングやホメホメ大作戦など自己肯定感アップの為の授業が副校長から受けられます。中学から入って素晴らしいイデオロギーに共に染まりましょう。学力なんて矮小なものではなくて思想が学べます。
この間、県立図書館で昔のサンデー毎日を見たのだけど、平成2年と15年の玉名高校の進学実績が掲載されていた。平成2年なんて、掲載がある主要大学(20大学ぐらい)の合格者だけで200名に達していた。割合に直したら大分上野丘や宮崎大宮にも勝っていた。平成15年も掲載がある大学(東大・京大を含む10個の国立大学)だけで100名を超えていた。昔の玉名高校はどれだけの進学校だったのだろう。
平成の初頭は国公立大学合格者が毎年250人前後で、現在は定員の確保にも苦労している高校とか日本全国に玉高の他に存在するのだろうか?
後、少し調べて見たけど、九州大学合格者数が九州の郡部(県庁所在地以外)で平成2年、5年、6年と首位だ。そこまでの進学校が定員割れか。
平成5年の進学実績
玉名高校 東大・3、京大・2、九大・23
済々黌高校 東大・1、京大・1、九大・30
何で玉名高校はこの頃の進学実績を維持する事が出来なくなったのだろうか?
後、平成17年も九州の郡部で九州大学合格者数が1位だ。まさか、それから20年で定員割れ高校になるとはね。
自分は昭和60年の3月に玉名高校を卒業した者です。確か、私の年度は東大・京大の合格者数の合計で済々黌を上回っていました。それが今現在、定員割れの危機との記事を見て驚きました。当時は入学倍率も2倍近い物がありました。そんなに高校は時代とともに変化するのですね。
1950年から2021年までの東大、京大合格者数
済々黌 東大158名、京大147名
玉名 東大35名、京大44名
自分の父が卒業した昭和40年の3月も東大・京大の累計で済々黌を上回ったそうです。
平成17年の九州大学合格者数が17名で宮崎西高校と同じだ。その他、鳥栖高校や諫早高校、佐世保北高校などに勝利している。それから20年後の現在、定員割れだ。厳しいね。
今、荒尾市からどの位、玉名高校に来ているのだろう。自分が中学生の頃は中学区制だったから
模試で150位以内に入らないと玉名高校は受験できなかった。当時は荒尾市から受け入れる人数は100人までと決まっていたからね。だから、3年間猛烈に勉強したし、時には教師に媚びてまで内申点の確保に必死だった。そこまでの憧れの高校が約30年後の今、定員割れとは時代の流れとは言え少し残念だね。
九州大学合格者数が九州の郡部(県庁所在地以外)で平成2年、5年、6年と首位だ。そこまでの進学校が定員割れか。
2009年当時、代々木ゼミナールからスカラシップを貰える九州の郡部の高校は玉名高校と長崎県の諫早高校、大分県の中津南高校のみだった。今はどうなんだろう。