一高ってだいたい
偏差値最低から最高までどのくらいの範囲の人か集まっているんでしょうか。
平均ってか人数は440点台450点台にたくさんいる感じ。460点以上になるとだいぶ人数は少なくなるイメージ。
偏差値の最低てのもB群の内申重視の選抜基準がよくわからないから大雑把だが、415とか420点あたりが最低か。そうすると筆記の点数だけ見た当日最低
偏差値は66ぐらいかね。
最高値に関しては、これも年によるが74~78じゃないかな。
んー高校に関しては基本、自宅から無理なく通える範囲内でトップの学校に入れればいいと個人的には思うけれど。
書籍やネットの情報が充実しているこのご時世、どこそこの超進学校に通わないと受験のノウハウが全くわからないというわけではないし。それこそ教育困難校でなければ、あとは自分が勉強するかしないかだと思うからね。
あまり通学に時間や費用がかかることを考えると、その時間を勉強に、費用は参考書や問題集あるいは塾に使いたいところ。
最終的に東大に入れれば、そういう超進学校出身のひとと知り合えるし、自分の学歴に箔をつけるにしても学校のヒエラルキーにも栄枯盛衰がある。30年後も開成が東大合格者数日本一かどうかはわからない。
偏差値だけで母校となるべき学校を選んじゃうと、将来母校が凋落した時になんとも言えない気分になると思われ。例え世間から注目されなくなっても母校を誇りに思えるぐらいの
偏差値以外の価値を見出だせるといいよなと思う。友人や恩師、学校行事とかね。
そうですよね。私の父もよく話すのですが,名門出身の人ってやっぱり頭良いけど,結構「こいつと仕事するの嫌だな…」って思うことあるって言ってました。見ていても,「オレは才能があるから努力は必要ない」っていう調子で要領よくこなしてしまうそうです。やっぱり学校の名前に頼ることなく自分で誇りを持てるくらい頑張る人が一番好かれるでしょうし何より人生がすごく楽しいんじゃないかと思います。
そうだね。学力も大事だが、何より魅力的な人間になることが一番。魅力的な人間には魅力的な人間が集まるし、人の集まるところにはお金も集まる。むしろ国の力が弱まってお金の価値が低くなっても、信用し合っている人たちならお金という保証がなくてもお互いの労働の結果を交換できる。
お金っていうのは、皆がこれぐらいの価値があると妄想しているからこそ通用する。だからこそ初対面の人に対してもお金を媒介にして取引が成立する。お金は便利だけど、お金しか信じていないとお金の価値が下落した時に何を信じたらいいかわからなくなる。
逆に信頼し合える人間関係を多く持っている人間は、万が一、国が破綻してお金が紙切れになっても助け合って生きていける。
だいぶ話がずれたが、社会的に信用の高い人間になるのが大事ってこと。そうなるために社会的に信用の高い良い学校に入って自分の価値を高めるのは一つの定石だが、そういう学校に入ったからといって傲慢になったり人を見下したりして反感を買っていると、せっかく稼いだ自分の価値をむざむざ下げることになる。人格の破綻した人間からの評価はどうでもいいが、良識のある人達からの評価を下げるのはたいへん不利益だと思う。