定員割れでも、公立高校はどこも各学校の定めた最低点に達しないと合格できません。これはちゃんと文部科学省通達にあって、国泰寺高校の場合、総合点で6割はないと無理です。また内申書から「人間性」を見抜かれると、どんなに高得点でも合格しません。どんなに中学校の担任の先生がごまかしていいことばかり書いても、別途求めて中学校の校長に提出させる「全体資料」と突き合わせれば、矛盾点が出てわかるんです。
国泰寺高校は標榜している通り、入学後は人間性教育=いわゆる指導者教育をします。何だか軍隊の様な規律、ほぼ詰め込み、広く基礎学力をつけさせるのはそのためなのですが、歪んだ人間性、素質を持つ者に指導者教育をするとどういうことになるかはご承知の通りであり、このことからこの部分での選抜は非常に厳しくしています。
わからないときには直接、中学校に出向いて校長、担任などから話を聞くことがあります。特に不登校やいじめ被害者であったと思われるお子さんの場合などです。また入学後、残念なことになったときにもあります。ただこれは国泰寺高校に限らず、公立高校ではどこでも同じです。
あの全校回りですね…あれはちょっと違うんです。
広島県は文科省通達に従い「相対評価」をなくして(いわゆる
偏差値輪切りの全廃)内申書をオープン化、代わりに各県立高校は各中学校に学校情報の提出を求めるようにしたことからなんです。要するに、例えば各中学校は各中学校の5段階評価の根拠を各県立高校の求める形にして別途、提出しないといけない。けれども同じ県立高校でも中学校に訊きたいことは各高校それぞれに別ですから、結局、中学校は生徒ひとりひとりの希望=受験校に合わせてひとつひとつの作成になり、中学校側の作業量は莫大なもの、高校側も各中学校から提出されたデータをもとに「平均化」の作業が発生、これもまた莫大な作業量となりました。さらに国泰寺高校は県立、中学校は主に市立で、
先生は県職と市職で全く別。ご協力感謝を兼ねて、意見伺い(自校からはどのくらいの質問までであったらあまり負担にならないかの意見聴取)で挨拶回りをしているというわけです。
まあ、内申書開示裁判で行政側が敗訴したこと、またこうすれば一部のところ、具体的には定員割れを起こしたときの合格最低点や、人物評価の方法など、個人の利益にかかわる、かかわりかねないところを除いて高校入試の全体を公開できる、さらに何と言っても細かな個人別評価を徹底できる利点があることから、広島県は全体として国の方針通りにしているわけですが、中学校、高校ともに負担が大きくなり、作業担当者数が増えた、結果、かかる費用=税金も大きくなったでまた別の問題発生です。このことから別の行政体、例えば大阪市などは通達に従わずに(通達は命令ではありませんから、従わなくてもよい。)今も相対評価のままとしていたりもします。
「内申書なし」=当日試験のみにしてしまえば一挙解決なのですが、内申書廃止について国民は「NO」ですし、増税もまた「NO」、ならば全中学校で「統一定期試験」とすればどうかなどという意見も今、出てきていますが、これはそもそも憲法違反の乱暴な意見(前提として、例えば「国定教科書制度」としないと不公平になる。そんなことは絶対にできない。)で、どこまでも難しい話なんですね…。
まあでも根本はこの50年に渡り、義務教育が荒れている、それを半世紀経っても解決できないことから、社会、当然、高校も中学校を「信用できない状態」になり、こうなったということで、もうタイガイ「先延ばし」はなしにして、考えなきゃいけないと思うのですがね。