ACが羨ましいとか、あれだけのことをしてもらっていたら自分は違っていたとか、少し勘違いではないですか?
どんな環境であれ、結果を出す生徒は沢山いるんです。勉強が楽しく大好きだと言う生徒が、どれだけいると思いますか?おそらく大半は、好きではないはず。あなたが、学校生活を楽しく過ごしていた時、結果を出した友達は、やりたいことを我慢し、自分の誘惑と闘いながら努力していたんです。我が子も卒業生ですが、学校生活の思い出は
勉強しかなく、今度生まれ変わったら館一には入りたくないと言っているくらいです。努力の甲斐があり、
国公立に進学しましたが、学部生の三分の一は浪人生だと聞きました。浪人してまで入ったのだから、じゃあ今度こそ頑張らないといけないはずが、そういった浪人生ほど、また適当な大学生活を送り進級の問題で悩む人も多いとか。
結局、自分がすべてなんです。環境も友達も選んだのは全部自分。
応援してくれた先生も友達も、それからご両親、
きっと心配しているでしょう。不安な気持ちを
抱え込まず受け止めてもらって、二度と後悔しない道を。精一杯頑張った時は失敗しても悔いはないのだから。
頑張ります。自分の質問に答えて下さり、本当にありがとうございました。支えてくれている人(両親、学校の先生方、友人)に恩返し出来るよう、努力したいと思います。
隣の芝は青く見えるものでして、あなたが見聞きしたACの情報も大本営発表に近いものがある可能性は考慮に入れるべきでしょう。HPの編集権は学校側にあり、環境の良さを殊更に誇示するのは必然の流れです。
成績が環境に依拠するという前提なら予備校に行くのが適切かと思います。学校よりは余程質のいい授業が期待できますし、周りの生徒の雰囲気からも勉強しようとする気持ちになるものです。
しかし、それでもやはり落ちる人は落ちるというのが受験というものでして、特に浪人生は毎日予備校という良質な環境にいながらも多くが失敗してしまいます。
この手の企画は得てして周りに流されてなんとなく参加している人も多いもので、ACに参加していてもやはり自発的に勉強しないと成績は向上しないですし、ACでバリバリやっている人は仮にこれが無くても進んで勉強するタイプなのではないでしょうか?
彼らの結果は2年後でないと分かりませんが、とりあえず、私はACというものは過度に羨望の眼差しを向ける程価値のあるものとは思いません。結局は成績を上げる一つの手段でしかありませんし、それなら塾や予備校で十分代替が効くはずです。(予算の制約はあるでしょうが)
質問者さんが今後どのような身の振り方をされるかは存じませんが、浪人するなら何がダメだったか謙虚に反省していらっしゃるので大丈夫だと思いますよ。頑張ってくださいね。
>浪人してまで入ったのだから、じゃあ今度こそ頑張らないといけないはずが、そういった浪人生ほど、また適当な大学生活を送り進級の問題で悩む人も多いとか。
これはただの偏見でしかなく、取るに足らない言説です。浪人経験の有無と自堕落な生活を送ることには何ら相関性はありません。堕落する人は浪人の経験に関わらず堕落します。ただそれだけのことです。
>結局、自分がすべてなんです。環境も友達も選んだのは全部自分。
これも精神論としてはご立派ですが、必ずしも正しいとは限りません。環境が「全く」影響しないということはありません。
人はある程度良質な環境を享受するために、例えば都市部では中学受験に挑戦して私立中学に進学することが望まれますし、塾や予備校で学校より質の良い授業を受けるために教育投資をします。
底辺学校に所属しながら上位校を狙うようなもので、やはり投資を惜しまない方がより良質な環境を得ることができるのは否定できない事実でしょう。
問題なのは、その中でどれだけ効率よく自主学習できるかということです。予備校に投資をしながら失敗するのは、環境に甘んじて(講義を受けっぱなしにするなど)自分で勉強しないというパターンです。
その意味では本人の力量が大きく試されるのも、これまた事実ですね。
卒業生さん?
分析ありがとう。人生死ぬまで勉強ですから、
参考にさせていただきます。
私も浪人生すべてを否定したつもりはなかったので、申し訳ありません。
長い人生送ってきましたので、つい親心のようなものが湧き、はげましたかったのです。
前向きに考え、素直な心がよみとれましたから。
質問者さんは、今回は失敗したかもしれないけれど、人への感謝の気持ちがあり、これは人間として学問より大事な事です。学歴は無いよりあったほうが得ですが、頭でっかちにならず、今のように素直にまっすぐ進んでほしいと思います。
昔とは違い、今は人間性を重視する企業が多いですからね。
これからの長い人生。沢山楽しい思い出ができますように。