>昭和40年では、すでに上位層を一高に集中させたあとだ。そうなってからでは、何をやってみても大した効果は期待できない。
虚言を書くな。
すでに昭和40年以前に二高からは東大層はいなくなっている。
東京大学合格者数
昭和 仙台一高 仙台二高
25 02 = = 2
26 03 ○ ● 1
27 02 ● ○ 3
28 03 ○ ● 0 二高1回目の東大合格者ゼロ
29 03 ○ ● 2
30 04 ○ ● 1
31 01 ● ○ 8 高校入試で輪切り始まる
32 10 ○ ● 3
33 07 ○ ● 1
34 03 ○ ● 1 東北大学合格者数で「一高優位」不動に(読売新聞宮城版昭和49年2月8日)
35 07 ○ ● 2
36 08 ○ ● 3
37 08 ○ ● 0 二高2回目の東大合格者ゼロ
38 09 ○ ● 2
39 10 ○ ● 1
40 12 ○ ● 0 二高3回目の東大合格者ゼロ
出典「東京大学合格者数」
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/479804075.html仙台二高の管理教育を受けると虚言症になる。
>昭和40年では、すでに上位層を一高に集中させたあとだ。
あいにくだったな。すでに昭和28年に仙台二高の教師が「学校差はいろんな意味で自然に生まれる」と認めている。
『河北新報』昭和28年3月2日(月)
【高校入試あれこれ(中)】
出席者
二中 …
五橋中 …
宮城野中 …
上杉山中 …
【仙台二高 増田治雄】
県教育研究所 …
県教委学務課 安倍辰夫
同指導課 …
・・・・・
【安倍】これは仙台一高と仙台二高の例もみてもわかる。設備は仙台二高が一高よりはるかによい。教員はまあ同じだ。しかし志願者の成績は最高点をとったものが毎年一高を受けている。最低点は差がない。こうした結果はどこから生まれるか父兄が反省してほしい。
【増田】学校差の問題は高校側としては全く受け身だ。成績のいいのだけよこせといっているわけではない。これは50年、70年の伝統として生まれてくるもので学校差はいろんな意味で自然に生まれる。
・・・・・
「しかし志願者の成績は最高点をとったものが毎年一高を受けている。最低点は差がない。」も数字で裏付けられている。
『高校教育スクラップ』21〜22ページ
草創期の高校入試状況
次に、高等学校草創期の入試状況につき、宮城県内のそれを取り上げ概観する。
表4は草創期のある年度の、宮城県内公立高校十八校の入学試験の高校別最高点・最低点・平均点の一覧表である。これを見てまず驚くのは、受験者に現在見られるような高校毎の輪切り現象がないことである。最低点は別として、ほぼ、どの高校も、最高点は接近していて、優秀な成績の生徒が受験していたことがわかる。
偏差値(成績)ではなく、生徒自身の興味・関心や適性で高校を選ぶ、本来のあり方が、その頃は見られたのであった。観点を変えれば、戦後の困窮化にあって、親は子弟を高校に進学させることは、かなり家計を圧迫することになるから、居住地域の最寄りの高校を受験させたのだともいえる。
(表4)草創期宮城県高校入試高校別成績一覧
校名 最高 最低 平均
仙一高 594 270 524
仙二高 534 283 504
仙台二高の管理教育を受けると「記憶障害」になる。
>>これが、二中と一中の違いだ。
>
>一中は正規の学校、二中は変則学校だった。これが、一中と二中の違いだ。
仙台一高は札幌南や日比谷と同じく元は尋常中学校・旧制一中。仙台二高は元は旧制仙台一中の分校。
出典
「仙台一高の創立過程」
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/484673823.html「仙台二高の創立過程」
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/485734538.html仙台二高の管理教育を受けるとボケやすくなる。