>だから昭和31年から東北大学の合格実績は二高 > 一高になっり、二高が徐々に人気化していった。
>その裏づけとして昭和31年から二高は毎年約0.1ポイントづつ倍率が上昇している。
>仙台二高の志願者数と倍率(定員350人)
>昭和 志願数 倍率
>31 541 1.55
>32 565 1.61
>33 602 1.72
>34 649 1.85
倍率が高い方が上位層が多いと考えているのか?一高と三高の方が毎年二高より倍率が高いからいずれ二高は一高・三高の下になると考えているのか?
読売新聞宮城版 昭和29年3月28日
教育
問題を残す高校入試
=学区制と調整しすぎた一校主義=
・・・
[学区制]…
[有名校]しかし、その反面効果がありすぎて、Aクラスの有名校に定員不足という珍現象が各地で見られた(茨城、千葉、秋田、静岡)。その原因をみると、受験者は願書を一通しか出せない一校主義を原則としているため各中学校とも慎重になり「頭」の優秀な生徒の集中が予想されるAクラスの有名校志望を断念させ、Bクラスの学校にふりむけるという細かい神経を使ったのがこの珍結果を生んだらしい。なかには「どうせ落ちるならAクラス校を受けて落ちた方が…」という者が意外にも無試験入学となって大喜びだったという皮肉な現象もみられた。これも学校差をなくすためによいことだとする意見(秋田)もある。
出典「Aクラスの有名校」
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/481283231.html仙台二高の管理教育を受けるとトップ校の方が人気があるから倍率が高いと考えるようになる。
>いつまでも戦後のドサクサの時期のことを書くな。
>いかにも仙台一高の提灯新聞の河北新報らしく、仙台二高のどんなささいなことでも、大げさに取り上げて、二高叩きをしていたという証拠でしかない。
旧制二中の二高は「荒れる学校」だったんだから新聞が取り上げるのは当然じゃないか。旧制一中の一高はそんな状態にはならなかった。それが「格の違い」というものだ。
『仙台一中、一高百年史』平成5年
(193ページ)正義派の決起 このような雰囲気の中で、本校生の一部有志の間に愛校精神を掲げて、いわゆる「正義派」生徒が起ちあがった。
・・・・・
しかも他校がこの混乱期に幾多の不祥事件をひき起したのに対し、本校の場合は、正義派生徒の決起によっていち早く混乱、退廃から脱却し、見事に校運発展の礎を築いたことはまさに名門一中の面目をいかんなく発揮したものであった。
出典「一高正義派の決起」
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/491021155.html
>だから昭和31年から東北大学の合格実績は二高 > 一高になっり、二高が徐々に人気化していった。
>その裏づけとして昭和31年から二高は毎年約0.1ポイントづつ倍率が上昇している。
>仙台二高の志願者数と倍率(定員350人)
>昭和 志願数 倍率
>31 541 1.55
>32 565 1.61
>33 602 1.72
>34 649 1.85
>俺は根拠のあることしか書いていない。
それは根拠でなく妄想だ。
トップ校は二番手校より倍率が低い。
読売新聞宮城版 昭和34年2月22日
公立高校の志願者締切る
競争率は1.65倍
公立高校の入学願書受け付けは21日正午県下一斉に締切ったが、正午現在の総受験者数(21日付消印の郵送分を含まず)は1万8191人。平均競争率は1.65倍(昨春1.35倍)だった。…
名門のナンバー・スクールは宮三女を除き、2倍を越えた学校はなくかえって仙一の場合むずかしいと敬遠されて募集人員よりわずかに29人多かっただけという低調ぶりだが、粒よりの受験生で固められているきびしさが感じられた。…
出典「Aクラスの有名校」
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/481283231.html仙台二高の管理教育を受けると妄想癖が養われる。
>だから昭和31年から東北大学の合格実績は二高 > 一高になっり、二高が徐々に人気化していった。
>その裏づけとして昭和31年から二高は毎年約0.1ポイントづつ倍率が上昇している。
>仙台二高の志願者数と倍率(定員350人)
>昭和 志願数 倍率
>31 541 1.55
>32 565 1.61
>33 602 1.72
>34 649 1.85
それは人気化していったのでなく二番手校として確定したということだ。
東北大学合格者数
昭和 仙台一高 仙台二高
24 062 ○ ● 037 新制高校初卒業生
25 139 ○ ● 105
26 125 ○ ● 118
27 122 ○ ● 090
28 139 ○ ● 125
29 112 ○ ● 103
30 112 ○ ● 098
31 117 ● ○ 127 高校入試で輪切り始まる
32 115 ● ○ 125
33 124 ● ○ 140
34 173 ○ ● 120 東北大合格者数で「一高優位」不動に(読売新聞宮城版昭和49年2月8日)
35 151 ○ ● 127
36 167 ○ ● 125
37 140 ● ○ 185 3年前の高校入試で二高強制受験
出典「東北大学合格者数」
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/479789325.html人気化で二高の合格者が増えたというのならどうして二高の東大合格者がゼロ人になったんだ?
東京大学合格者数
昭和 仙台一高 仙台二高
25 02 = = 2
26 03 ○ ● 1
27 02 ● ○ 3
28 03 ○ ● 0 二高1回目の東大合格者ゼロ
29 03 ○ ● 2
30 04 ○ ● 1
31 01 ● ○ 8 高校入試で輪切り始まる
32 10 ○ ● 3
33 07 ○ ● 1
34 03 ○ ● 1 東北大学合格者数で「一高優位」不動に(読売新聞宮城版昭和49年2月8日)
35 07 ○ ● 2
36 08 ○ ● 3
37 08 ○ ● 0 二高2回目の東大合格者ゼロ
出典「東京大学合格者数」
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/479804075.html仙台二高の管理教育を受けるとフェイク生成脳になる。
>今度は逆に差がついてきたため。学区を入れて調整を図った。それだけの話。
歴史をねつ造するな。
最初から
仙台一高>仙台二高
だ。どこにも一高が二高に差を付けられた痕跡などない。
東京大学合格者数
昭和 仙台一高 仙台二高
25 02 = = 2
26 03 ○ ● 1
27 02 ● ○ 3
28 03 ○ ● 0 二高1回目の東大合格者ゼロ
29 03 ○ ● 2
30 04 ○ ● 1
31 01 ● ○ 8 高校入試で輪切り始まる
32 10 ○ ● 3
33 07 ○ ● 1
34 03 ○ ● 1 東北大学合格者数で「一高優位」不動に(読売新聞宮城版昭和49年2月8日)
35 07 ○ ● 2
36 08 ○ ● 3
37 08 ○ ● 0 二高2回目の東大合格者ゼロ
38 09 ○ ● 2
39 10 ○ ● 1
40 12 ○ ● 0 二高3回目の東大合格者ゼロ
出典
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/479804075.html学区導入は仙台二高の救済策として行われた。歴史を曲げるな。
仙台二高の管理教育を受けると都合の良いように歴史のねつ造に励むようになる。
>>仙台二高の管理教育を受けると
>仙台二高に管理教育などない。デタラメ書くな。
「受験予備校」だろ。
『河北新報』朝刊 2024年1月7日(日)22面
仙台二高は東北で1、2を争う進学校。膨大な量の課題を日々こなす中で、大学受験のための詰め込み教育に疑問を抱いた。
裏付け資料
「仙台二高の学力別クラス編成」
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/480718640.html仙台二高は東北で1、2を争う受験予備校。
>今度は逆に差がついてきたため。学区を入れて調整を図った。それだけの話。
歴史をねつ造するな。
じゃあ何で差がつきすぎていているのにまた学区を入れて調整を図らないんだ?
事実は自然に
仙台一高 > 仙台二高
となっていただけのことだ。
『河北新報』昭和28年3月2日(月)
【高校入試あれこれ(中)】
出席者
二中 …
五橋中 …
宮城野中 …
上杉山中 …
【仙台二高 増田治雄】
県教育研究所 …
県教委学務課 安倍辰夫
同指導課 …
・・・・・
【安倍】これは仙台一高と仙台二高の例もみてもわかる。設備は仙台二高が一高よりはるかによい。教員はまあ同じだ。しかし志願者の成績は最高点をとったものが毎年一高を受けている。最低点は差がない。こうした結果はどこから生まれるか父兄が反省してほしい。
【増田】学校差の問題は高校側としては全く受け身だ。成績のいいのだけよこせといっているわけではない。これは50年、70年の伝統として生まれてくるもので学校差はいろんな意味で自然に生まれる。
・・・・・
仙台二高の管理教育を受けると自然に歴史をねつ造するようになる。
>>歴史的な格は仙台一高>仙台二高
>
>二高と一高の前身の旧制二中と旧制一中は尋常中学校を2つに分けてできたから同格。
尋常中学校・旧制一中に源を発する仙台一高は日比谷高校や札幌南高校の仲間。「分校」から始まった仙台二高とは「伝統と格式」が違う。
1892年 宮城県尋常中学校
1900年 宮城県第一中学校
1904年 宮城県立仙台第一中学校
1948年 宮城県仙台第一高等学校
1887年 東京府尋常中学校
1900年 東京府第一中学校
1948年 東京都立新制第一高校
1950年 東京都立日比谷高校
1895年 札幌尋常中学校
1915年 北海道庁立札幌第一中学校
1948年 北海道立札幌第一高校
1950年 北海道札幌南高校
仙台二高は尋常中学校・旧制一中とは全然無縁な旧制仙台一中の分校。
出典
「仙台一高の創立過程」
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/484673823.html「仙台二高の創立過程」
https://sendaiichikou.seesaa.net/article/485734538.html仙台二高の管理教育を受けると出自を詐称するようになる。