はっきり言って今年の応援歌練習はコロナ以前のものと比べてかなり優しいです。こんな中途半端なやり方なら普通にやればいいのでは、という声も聞きます。応援歌練習をどのように行うかは執行が主に話しているのでこの風習を変えたいのならば掲示板に書き込むよりも何かしらの委員会に入って発言する方が確実かと。私は終わってみれば応援歌練習は面白かったと思いますけど人それぞれですね。私も当時はみんなで応援団にぐちぐち言っていたのですが、これがみんなとの共通の話題みたいになって入学当初から話が盛り上がったのでそこそこメリットもあるかも?
去年 今年とコロナ禍であり応援練習を変えるチャンスだったと思います。それでも、続けるという事はそれ相応の力が働いているのでは?と想像します。
そもそもいくらマスクをしていても、大声を出したりしない方が良いと思いますね。どうしてもやりたいのであれば、みんなワクチンを打ち終わってしばらくしてからが良いと思います。
一つ上の質問に父の頃の応援練習について書いた者です。上に書いたように、父の頃は教室から応援練習の行われる場所へ移動する際に怒鳴られることは無かった、応援団がものを叩いて威嚇することも無かったそうです。さらに、手の振りも無かったわけですから、父の頃は校歌・応援歌を覚えていきさえすれば、それほど怒鳴られたり威嚇されたりすることは無かった、ということになります。
質問者さんは、校歌・応援歌を覚えて来いと言われたので覚えて行ったのに怒鳴られる、手の振りなど事前に練習の仕様がないのに出来なくて怒鳴られる、という点に特に憤りを覚えていないでしょうか?今の応援練習も父の頃の様式で、怒鳴られたりするのは、ほぼ校歌・応援歌を覚えていなかった場合のみと想像してみてください。この場合「怒鳴るのもどうかと思うけれど、覚えてこいと言われたものを覚えてこないのもな〜」等と思えて、それほど怒ってはいないのではないでしょうか。
私は、父の頃の様に校歌・応援歌を覚えてさえいけば、それほど酷い目には合わない、という様式に戻すべきだと思います。
この理不尽な応援練習がなくならないのは経験した生徒たちがあった方が良いと思っているからではないでしょうか?自分も応援練習が嫌で登校が辛かった口ですが、入学早々にその辛いことを乗り越える事で自信がついたと思っています。
応援団も自分たちが嫌われ、影で笑われ舐められている事は知っています。自分たちが経験していますから‥
本当に理不尽で腹立たしい事この上ないですが、一週間頑張って下さい。その上で応援練習を無くした方が良いと思われるのでしたら行動されたら良いと思いますよ。
ちなみにこの後、海浜教室と高原教室が待っています。どちらも得意でない人にとって過酷ですが、やはりそれを乗り越えた体験は現社会では得難いモノだったと思っています。(どちらも二度とやりたくはないですが笑)自分は沼東の行事は大学受験においての自分の限界に挑戦する事に繋がっている気がします。
在校生さんのように考える人が多いのでしょうね。
私にはこれはイデオロギーの押し付けにしか思えません。
このような事をしなくても、在校生さんなら高い志も受験に向けての気持ちも持てたかもしれませんよ。そう教え込まれた感があります。
校歌は楽しく歌う物です。
自分達がやらされたのだから次の学年にもという考えは伝統ではありません。沼津市民として沼津東高が定員割れになっている理由がここにあるとするなら、改善した方がと思います。
一昨年、立法を担う代議委員会では、「応援団に女子も入れるようにする」ということについて、議論がありました(コロナで生徒全体での話し合いはなくなりましたが)。応援団の方々は彼らなりのこだわりがあるらしく、その校則について乗り気ではありませんでした。彼らは笑われ舐められていることは十分承知していると思います。ですが、彼らは誇りを持っているのではないか、と思いました。だから彼らは自分たちのこと、沼東のこと、伝統のことを考え、反対したのでしょう。女子を入れないことは性別を理由の拒否であり、不平等だ、という意見がありました。一方で歌舞伎のように、男性用が担ってきた芸術だという意見もありました(この資料は自治会室にあります)。
大半の沼東の二、三年生は面白がったり、応援したりしながら応援団の指導の様子を見ていると思います。ですが、中には「伝統」についてしっかりと考える、貴方のような方もいます。一部の人がちゃんと考え、一部の人が何も考えない、というのは、どこでも同じかもしれませんね。もし、貴方が常識をうたがう心を、もっと広めたいと思うのであれば、代議委員会をおすすめします。貴方のような方なら、沼東を変えられると思いますよ。
つたない文章ですが、失礼しました。貴方の沼東での生活が楽しくなることをお祈りします。
ここに書くんじゃなくて終わってから委員会入って行動してください
私は応援練習大好きだし続けてほしいなーだってこれがある事も理解した上で沼東受験するの決めたし、、、
まあ、今年はほんとに緩いからコロナ禍ではなくなっていつもみたいに戻って欲しいなとは思う。
すごい意見まとまってないな自分w
とりあえず、自分は応援歌指導肯定派って事です。
なんだかんだ応援歌練習終わったあとに応援団が拍手してくれたことは忘れていない。すごく嬉しかった。入学当初は、なんだこの伝統!?と毎日学校に行くのが辛かったですが今となってはいい思い出です。所謂、援団女子になりましたね。応援歌という共通の話題でかなり盛り上がるのでそこはメリットなのではないかと感じます。
応援練習の意味って終わってからじゃないとわからないと思います。色んな意見があるのは当然だし、廃止を検討するのは大切な事だと思います。が、応援団が「やられたからやり返す」なんて低俗な意識でやっていると思われるのは心外です。勉強と部活と応援団をやるのはかなりのエネルギーが必要です。それでも頑張っている彼らには彼らなりの理念があると思います。
そしてこの風習を変えようとする貴方もかなりのエネルギーが必要でしょう。沼東に入学してまだ間もない中で自ら疑問を感じた事に真摯に向き合っている事に敬意を表します。
沼東は芯もクセも強い人たちの巣窟です笑)
自分の信念を貫く人を受け入れる土壌は有りますので、提議する価値はあると思いますよ。
あなたが応援歌練習のあり方に疑問を持つのはある意味当然だと思います。なぜならあなたは今、ある意味で応援歌練習の被害者なのですから。今あなた方が指導を受けている姿を楽しそうに見ている
上級生も、ほぼ全員が当時は応援歌練習に疑問を持っていたでしょう。
しかし、それなのに何故この伝統は無くならないのか。それは、応援歌練習を終えた人たちが「ある程度のメリットや達成感を得た」「これ以降応援歌練習を存続させることに対する自分への直接的なデメリットを失った」と感じたからだと思います。1つ目はすでに指摘されている方もいるので掘り下げませんが、重要なのは2つ目です。
高校には楽しいこともやらなければならないことも沢山あります。そういった中で、わざわざ自分に直接のメリットがなく、また大変な労力のかかる事をしようと思えるでしょうか。この伝統をなくそうと行動するときの労力は、ボランティアのそれとは比ではないでしょう。人は何かしら自分がメリットを得られない限り、なかなか行動しようとは思えない生き物です。未来の後輩から感謝されると思うかもしれませんが、それはおそらくないでしょう。なぜなら、彼らは応援歌練習の理不尽さを知ることはなく、またあなたの勇気ある行動とあなたの名前を記録したものはせいぜい自治会の議事録程度だからです。
僕は、応援歌練習をなくすことは「新入生」にとってはメリットもデメリットもあると思います。しかし、応援歌練習を終えた僕にとってはメリットは見出せませんでした。あなたが応援歌練習を終えて、応援歌練習を通じて得られるメリット(あるかは人によるかもしれないが)を享受して、またこの伝統をなくしても自分個人に何一つメリットのない立場になった時に、それでもなお応援歌練習をなくしたいと思うのなら行動すれば良いと思いますよ。沼東ではそれが許されているので。
あなたの高校生が充実したものになることを願っています。
老害からの長文、失礼いたしました。
質問者です。またまた長文です。
今日承認式があり、応援指導が終わってキリが良いので返信させていただきます。
まずは皆さん、ご意見を頂き本当にありがとうございました。
正直こんなにたくさんの、そして真剣な意見を下さるとは思っていませんでした。自分では気づけなかったような納得する意見が多かったので質問して良かったです。
皆さんの意見にもありました通り、終わってからは達成感が大きく今は頑張って良かったなと思う気持ちが大きいです(自分はしょうもないミスをして他の人よりも遅れて合格となったので、焦燥感があった分達成感がかなり大きかったと思います)。
質問した日やその次の日ぐらいまでは不満が大きかったのですが、知り合いの方から、【応援団の方々もコロナ禍の中この行事を行うことに葛藤したが、最終的には意味を見いだせる行事なので敢えてやる方向にした】という話を聞いたり、皆さんの意見を聞いてからは、きちんと考えた上でやったという意味を真剣に考えるようになり、意見が変わっていきました。
当初は、応援指導を無くした方が良いと心底思っていたけれど、入学したてで応援練習がどう思われているのかよくわからなかったのでここで意見を聞いて自分の意志を固めてから委員会などにはいって行動しようと思っていました。
けれど、全てが終わった今は応援練習はあっても良いものだとも思っています。
辛かったけれど、最後に拍手をもらった時は受験に受かった時くらいにめちゃくちゃ嬉しかったし、自分をこんなに追い詰められる機会なんてそうそうないですし。嫌な思いから逃げられなくて頑張らなければならないなんて状況、大学受験までほとんど無いでしょうし。
まぁこれは人によるし今年応援指導を受けた大部分の人は自分と反対の意見になると思いますが。
ただ、今年の練習と同じように行うのはあまり良くないと思いました。
みんな声出てなくて(マスクだからしょうがない。自分も出てるなんて口が裂けても言えん)、応援と言うよりは歌って感じでしたし。
なんというかコロナ禍で行うと応援のデメリットの面ばかりが浮き彫りになる気がしてるので場合によっては来年程度はやめた方がいい気もしました
それと、事前に何かしらの形でこの練習をやる意味を問わせる必要はあると思いました。後半では、辛いも無くただ退屈な時間みたいに捉えられそうだったので。
全てが終わってから、一部の人が意味に気づいて良かったことに気づく
ってかなりハイリスクローリターンに思いますね笑
そこのところ何とかすれば、ちょっと非日常な体験〜くらいに思えると思うのですが笑
色々と書きましたが、何にせよ応援団の方々がこれからの方針を決めていくと思うので、ある程度やる意味を感じられた、応援団でも無い自分が「これは良くないから無くしてやる」なんてでしゃばるのは良くないと考えました。普通に上級生の方々に失礼っすね。
また、沼東が定員割れした件ですが、私立の
学費が安くなった原因が大きいですよね。多くの公立がかなり割れてますし。ただただ忘れてました。また、年によって定員が少なくなるようなことはあると思います。
自分の意見を通すために適当なことを言ってしまったように思います。申し訳ありませんでした。
ダラダラと書いてしまい申し訳ありません。
何はともあれ、合格出来て本当に良かったです。
これからの学校生活もがんばっていきます!!
皆さんに質問したお陰で色々考えるようになったと思うので、良い体験にすることが出来たと思います。
返信して頂きました皆さん、本当にありがとうございました!!
黙って勉強して合格実績に貢献しろや
合格実績上がればみんな来るっしょ沼東
現状の沼東だと私立と迷ったり伝統あんなら別にいいやって思ってしまうぐらいの合格実績だから県内の学生に衝撃を与えるような合格実績にしたい
令和にそんな伝統あるなんて一周まわって面白い。
沼津東、なんだかんだで本当に実績良いよね。
まぁ、今年はオリエンテーションなかったからしょうがないとは思う。本来はオリエンテーションで初めて應援団が新入生と対面するはずなのに、今年はオリエンテーションで対面することが出来なかったからね。それでも、この校歌應援歌指導には意味があったと思う。香陵祭を楽しむにも應援歌は必要だと個人的に思う。勝ったらみんなで凱歌を歌って負けたら一度立ちしを歌って…。
このコロナ禍で新しいものを入れるチャンスかもしれない。でも、解団式の時に団長さんが言ってたように、新しいものを取り入れるにも昔からの伝統をまず知る必要があると思う。今の2年生の應援団はコロナ禍で経験が少ないから今年は應援団のためにもやって正解だったと思う。校歌應援歌指導をどうするかは今の2年生に任せよう。
数年前に卒業した者です。
私も応援指導を受けている時は(なんて理不尽だ!)っと思ったものですが、あれ全部演技であり茶番なんですよね笑
でもそこが面白いところで、終わったあとみんなで応援指導について談笑したり、応援団の真似してみたり、たった2週間とはいえ何か1つの大きな壁をみんなで乗り越えたような達成感・一体感は今でも忘れられません。
もちろん応援団である彼らでさえその話題を共にしています。
あの応援指導の受け取り方は人それぞれによるところはあると思いますが、例えば私とこの掲示板にいるあなた達のように顔を見たことがなくてもその話題で通じ合えたり、話したことがない同級生同士でも同じ曲が歌えたり、ちょっと粋なイベントかなあと個人的には思ってます。
高校生活長いようで本当に一瞬で過ぎ去ってしまうので、ぜひ心から楽しんでみてください。
自分が受けているときは、訳もわからずやっていたけど、まあ、校歌應援歌指導はイベントの1つでしかないですね。こういうやり方が正しいんだと思っている人がいるのであれば問題だけど、今の時代にそぐわない考え方だとみんなわかっているのであればいいのではと思ってしまう。変な風習だけど、みんなで同じ相手(応援団)に立ち向かって同じことをするっていうのが団結力や会話をうむのはあながち間違いじゃないし、卒業してから卒業生間でも、大学での新しい友達間でも話のネタになって面白いよ。