”文武一道”ではないですか?
「文武一道」と書いて江尻慎太郎と読むらしい。
江尻慎太郎は好投手でしたが、早稲田の社学に入るのに二浪するようでは「文武一道」とは言えません。
さらに問題なのは、江尻に比べれば鼻糞のようなスポーツの才能しかない生徒に、文武一道と称して運動に入れ込ませる二高の体質です。朝練禁止、週休二日のような荒療治が必要でしょう。
でも東北大会、インターハイに出場しながら東北大以上の大学に現役ではいる人もいますよ
そういう人たちが理想なのでしょうね
↑全くその通りだけど、部活にのめり込んでF欄に行く高校生もいますから何らかの規制が必要でしょうね。
いずれにしても、運動をやろうとやるまいと生徒の勝手ですから学校が「文武一道」を煽るのはおかしいです。
確かにそうですね
実際文武一道を達成してるものもいれば、どちらかだけに片寄ってる人も大勢いますしね
んん??文武一道って、学問も武道も同じ一つの道。即ち、何かを極めた人間はそのプロセスに基づき他の事も極める術を知っている。一つを極めた者は全てを極めたも同然。だから何かを徹底的に極めましょう。ってことだった様な。。
俺の理解が違うにかな??
二高OBの西澤潤一博士は、自伝風の本の中で、運動は駄目だったと書いている。それでも凡百のノーベル賞受賞者をはるかに凌ぐ業績をあげているらしい。何も両方やることはないさね。もちろん両方できる奴が両方やるのはいい。しかし校訓にすべきことじゃない。そもそも、公立高校が哲学めいた校訓を持つ必要はないだろう。
二高生は勉強も(?)部活も十二分に
楽しんでることは事実です。
他の普通の高校生と楽しんでる次元が
ちょっと違うと思います。
まぁ、二高生でないとわからないとは
思いますが・・・。
(二高生自身も、他校生は同じように
高校生活を謳歌してると思っているで
しょうが、実際は全然違います。)
文武一道は三船久蔵十段のような達人のみが到達できる境地で、みだりに振りかざすのは無意味だ。
文武一道の解釈で議論が紛糾していますが
別に運動でも目覚ましい成績を上げろ、なんて意味ではないと思いますよ。
両立させろってことじゃないですかね。
帰宅部同然の方が成績優秀かというとそうでもないですし。
私は文武一道という校訓いいと思いますよ。
質問者さんの質問に答えると、
運動部でいちばん活躍しているのはフェンシング部ですね
今年もインターハイ出場しました
その他の個人競技は中学までの差が大きいのでなんとも言えません
全国レベルの人もいれば、地区大会でもなかなか勝てない人もいますので…
素朴な質問ですが、文化部で活躍するのも「文武一道」と認められるのでしょうか?
運動部文化部に優劣も区別(差別?)もありません。
化学部囲碁部将棋部などなどきりがありませんが全国大会や国際大会で活躍しております!
運動やらずに化学部囲碁部将棋部などなどで活躍してる生徒がたくさんいるのに文武一道の校訓を掲げ続けるっておかしくね?
確かに「武」って基本的に運動のことだからなあ
僕も二高の校訓はいまいちよくわからん
二高は文武一道としてるけど、多くの伝統校に残存する文武両道の校訓は「文武両道なくば國徳たらず」といった帝国主義教育の名残だよ。
以下は江戸時代の話。
世の中に蚊ほどうるさきものは無しぶんぶといふて夜も寝られず. 「蚊ほど」は「かほど」の意味がこめられ、「ぶんぶ」には文武の意がこめられており、定信の政策がうるさくて夜も寝られないいとの意味である。