ミヤギテレビ
4月28日(日)午後4時55分
ミヤテレスタジアム「仙台5月の風物詩!仙台一高二高定期戦」
「杜の都の早慶戦」として仙台市民に親しまれている「仙台一高二高定期戦」今年もその季節が近づいてきました。一高OBの秀ちゃんが全力取材。
1900年に始まった「仙台一高二高定期戦」。戦後の戦績は一高の35勝に対して二高の32勝、しかし最近3年間は仙台一高が勝利、特に去年はノーヒットノーランを達成、仙台二高は4年ぶりの勝利を目指す。両校の野球部部員が大会に込める思いとは?秀ちゃんが全力取材。
https://bangumi.org/tv_events/seasons?season_id=2329&ggm_group_id=19
野球と言えば、21世紀枠、残念でした。
久しぶりの甲子園出場は仕切り直しです。
王者育英や東北などを破っての出場に期待します。
とは言え、21世紀枠候補の各地区代表校を眺めていて、知ったことも多くありました。
中でも「野球」の名付け親が、正岡子規ではなかったことは一つの発見でした。(自分が知らなかっただけ?)
以下、ウイキペディアより
〇正岡子規(日本の俳人、歌人、
国語学研究科)
自身の幼名である「升(のぼる)」に因んで、「野球(のぼーる)」という雅号を用いたこともある。
これは、中馬かなえ(かなえは漢字転換出来ず)がベースボールを野球(やきゅう)と翻訳する4年前の1890年(明治23年)のことで、読み方こそ異なるが「野球」という表記を最初に用いた人物である。
ただしこれはベースボールに対する訳語ではなく、あくまで自身の雅号として使っていたものである。
子規は日本に野球が導入された最初の頃の熱心な選手でもあり、1889年(明治22年)に喀血してやめるまで続けていた。ポジションは捕手であった。
「まり投げて見たき広場や春の草」「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす」など野球を題材とした句や歌を詠んだり、文学を通じて野球の普及に貢献した。
これらの功績が評価され、子規は2002年(平成14年)、野球殿堂入りを果たした。
〇中馬かなえ(日本の教育者、元野球選手)
アメリカ伝来のスポーツである「Baseboll(ベースボール)」を「野球(やきゅう)」と訳した最初の人物として著名となった。1970年に野球殿堂入り。
野球の名付け親である中馬かなえが赴任した1899年に鶴丸高校野球部(鹿児島県)が創部された。
以上、長々と失礼しました。
しかしこれは、野球好きの自分にとりましては、大発見でした。てっきり「野球」の名付け親は正岡子規だと思ってました。
21世紀枠候補に鶴丸高校が選出されていなければ知りませんでした。鶴丸高校も一高も、残念ながら21世紀枠補欠校で終わりましたが、ひと時の夢を見させて頂きました。ありがとう。そして頑張れ!
PS
二高との伝統の野球定期戦、楽しんで下さい。