そんなこと調べる暇があるんだったら受験勉強しなさい。
学校側に直接問い合わせた方がいいかもしれませんよ
知ってる人も少ないだろうし、上の人のように最もらしく説教たれてくる人もいて不愉快でしょ?
私も知らなくて申し訳ない
出来る事があるとすれば、南校近くの古めの洋品店辺りに聞いてみてはどうですか
作ってもらえたとしてもフルオーダーになるんじゃないかな
割高になると思うよ
でも、セーラー服で通学できたら素敵でしょうね
自由化されたもとの制服を復刻して、それを着て3年間通学できれば、本当に素敵だと思います。
失われてしまった南高の伝統を復興しようという考えの中学生がいて、嬉しいです。
制服着用の校則がなくなっても、自分の心の中に校則をつくって、入学式から卒業まで、毎日ずっと伝統の制服で過ごすことができたら、メディアなんかも注目するかも知れませんよ。
むかし、南高の制服をあつかっていたのは、「学生服の赤塚」というお店だったと思います。
制服につける校章は、今でも購買で売っているはずです。
合格して、ぜひ願いを実現させてください!!
でも、一つだけ注文。伝統の制服を着るのでしたら、伝統を汚さないように、膝下スカートできちんと着て下さいね。ミニスカなんかは、勘弁です。
南高の学校祭に遊びに行って、記念館?のようなところに入ったことがありますが、南高の制服は何度か変遷されていて、スーツが制服だった時代もあったようでした。だからそのセーラー服だけが南高の象徴というわけではなさそうです。
札幌の南北(東西南北?でだったかな)高校でかなり昔に制服がシャッフルされたことがあって、写真のセーラー服は北高にいったというようなことを何かで読んだこともあります。(胸ポケットや胸当てが今の北高と違うので真偽は分かりませんが。
また1972年前後に制服が自由化された学校の「標準服」の大半は現物が残っていないものが多いようです(自分の母校もそのころ自由化されていたのでルーツを知りたくて少し調べたことがあります)。復刻はかなり高くつくと思われます。
校舎もそのセーラーの時代から2回(3回?)くらい建て直されているようですし、「セーラー服」にこだわりがあるのなら、入学後に希望者を募って「新生札南セーラー服」を立ち上げたらどうでしょう?学校の歴史は自分たちで作っていくものです。
セーラー服ってなんかバラエティ番組のお笑いタレントが着てることが多いですよね。
イモトアヤコとか。
何でだろう。
個人的には昭和の雰囲気って感じがする。
>何でだろう。
>個人的には昭和の雰囲気って感じがする。
実際に昭和の方が圧倒的にセーラー服が多かったからではないでしょうか。
セーラー服は改造しやすかったので、昔は上位を短くスカートを長くしている人が多くて、平成になって制服の改造をさせないためにブレザーに変えた学校が多かったようです。
新しいブレザー型はスカートがチェックなど昔ながらのものより可愛いかったので憧れる子達が増えて、またベストやセーターで体温調節しやすかったり、シャツを毎日洗濯できたりとデザイン性と実用性の面からも優れていたので、追随してブレザーに変えた学校も多いようです。
バラエティ番組のセーラー服はイタイ感じがしてあまり好きではないですけど、イモトアヤコさんは、母校が大好きだったのだなという気がします。
実際高校生がセーラー着ると5割り増しで可愛く見える
このスレッドをとても興味深く読んで、私も自分で少し調べてみました。
>南高の制服は何度か変遷されていて、スーツが制服
>だった時代もあった
図書館で「九十年史」というのを見つけて、写真集を開きました。これには、現在の公式HPにアップされている写真(1953年撮影)も出ています。見るとセーラーは2本ラインで、北高の3本ラインではありません。「シャッフルした」という説は、にわかに信じがたいところがあります。
写真集では、このセーラーが1956年までは少なくとも着用されていたことが確認できるのですが、1965年の写真を見ると、女子生徒の制服は確かにセーラーが廃止されてスーツに変わっています。この間にモデルチェンジが行われたことになるわけで、いつ行われたか、なぜ行われたのか、「九十年史」の年表や記事を見てみましたが、女子制服モデルチェンジという大きな出来事にもかかわらず、全く記載がありません。また、スーツ型制服は写真がつぶれていて、そのディテールはほとんど確認できませんでした。その写真だけで復刻することは不可能に近いでしょう。
次に、トピ主の中学生さんの
>自由化ならば、着用は義務・強制でなくなっても
>「標準服」のようにしてかつての制服が残っている
かどうかという点について。
おなじ「九十年史」の文章編のほうに、制服自由化を決めた1972年3月13日の職員会議で「現在の制服は標準服として残す」ことが正式に決まったとの記述があります(p.63)。つまり、トピ主さんは、学校制定の公式標準服として自由化前の制服を着用して通学することができるわけです。ですが残念ながら、それはセーラーではなく、スーツ型ということになってしまいます。服装は自由化されていますから、もちろんセーラーを着用して通学しても問題ないとしても、それは学校公式の標準服ではなく、あくまで私服の1つとしてセーラーを着用する、ということになります。
これからも、時間を見て調査を続けたいと思います。また、新しい情報がありましたら書き込みます。
↑さんへ
スーツ型制服の現物は数年前記念館のようなところに飾られていた記憶があります(記憶違いかもしれませんが)
在校生の方々は普段から入れるのかな?
もしまだ飾ってあるなら来年の学校祭にいくと現物が見られるかもしれませんよ。
シャッフル説はわたしもネットか何かで一度読んだきりでその後また探したのですけど検索できなかったし、記事の記憶も曖昧なので参考にはならなかったかもしれません。
高校の制服の歴史はなかなか興味深いですね。
まずはトピ主さんが合格しますように。受験頑張ってくださいね!
9月5日の書き込みをした者です。
まず、「シャッフル説」について、すこし歴史を調べてみました。
1950年、長崎から札幌に移ってきた米軍軍政部民間情報教育局(CIE)のニブロという米国人が、北海道の高校の共学化と小学区制を強硬に推進し、占領下の日本ではそれに従わざるを得なくなります(ニブロは、長崎でも同じ東西南北の共学化をしました。それは今でも続いています)。
その時、道立札女高(現北高)の一部の生徒が、その居住地により、南高に移籍します。その当時札女高の着ていたセーラー(百年史p.262)の型が、その後南高の最初の女子制服(セーラー)と酷似しています。つまり、共学化に際して、南高独自の女子制服を決めずに、札女高のセーラーをそのまま女子制服に流用したのでしょう。
ですから、シャッフルではありませんが、北高との関係はあり、共学化に伴い、北高の女子制服を南高が「拝借」したということだと思います。
しかし、時がたち、おそらく、借り物ではなく、南高独自の女子制服を決めようという流れになって、スーツ型にモデルチェンジになったのでしょうか(その後、北高でも、セーラーを3本ラインにマイナーチェンジしたことになります)。しかし、モデルチェンジの時期や経緯は、百年史にもなぜか掲載されておらず、依然謎です。スーツ型の場合、夏は、ブラウスにジャンスカとなるようで、その写真が既に1958年の卒業アルバムに掲載されています(百年史の冒頭に転載)。つまり、1958年には、すでにモデルチェンジされており、モデルチェンジの時期は、1957〜58年ごろと推測されます。
スーツ型女子制服のデザインのディテールは、百年史の写真で少し詳しくわかります。3つボタンのシングルで、スカートは、プリーツの数が少なく、ボックスプリーツに近いイメージです。校章バッジは、スーツの、自分から見て左の下襟につけます。下の白いブラウスには、ネクタイやリボンなどは着けていません。
なお、この校章バッジですが、1年生は赤、2年生は緑、3年生は青という、学年固定制の色分けとのことです。学年色を制定している学校では、色が持ち上がりのケースが多いでが、南高では、戦前、詰襟に学年組章をつけていたようなので、戦後はそれが廃止された代替として、学年固定制のバッジ色になったのでしょうか。
トピ主さんが、誇らしげに南高伝統のスーツの標準服の襟に赤いバッジをつけて入学式に臨むことができるよう、受験頑張ってください!
札幌南高13期東京同期会のブログに、女子標準服の写真が出ていますから、リンクをお知らせします:
http://blog-imgs-29-origin.fc2.com/m/i/n/minami13/go4.jpgスーツの襟の先が丸みがかっているのが特徴ですね。また、ボタンはくるみボタンのように見えます。
http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/i/n/minami13/CK12-16.jpg下は、襟ぐりが丸いジャンパースカートで、腰に細めのベルト。中のブラウスは、生徒によりまちまちで、学校で決まった型はないようです。スカートは膝下10cmくらい、やはりボックスプリーツですね(後ろの生徒)。
こうしたスーツやスカートならば、他の高校でも制服として採用しているところがありますよ、きっと。標準服で通学したいんでしたら、オーダーしなくても、その制服を買って校章だけつければいいんじゃないですか?