評定値のトップであれば、教科書の暗記です。
偏差値でトップを狙うのであれば、大型書店の学習参考書売り場で、自分のレベルに合致している参考書を選び、徐々にレベルアップを図るべきです。現代っ子にとって、紙媒体は苦痛かも知れませんが、急がば回れで、着実に
偏差値はアップします。教科書は無視でかまいません。その分、教師からは敵視され、クラスメイトからも毛嫌いされますが。まあ、先ずは教科書の暗記にチャレンジし、参考書を独学で消化していけば、自ずと道は拓けます。現在の学習指導要領を読んだ限り、現時点の高校教育であれば、独学のみでトップクラスの成績は弾き出せます。
偏差値においては。評定値を気にするのであれば、教科書を徹底的に暗記し、教師のご機嫌取りに励めばよろしい。何にせよ、教科書の暗記こそが原点である。それを乗り越えて、初めて大学入試への第一歩が、踏み出せるのである。教科書を消化できなければ、何も始まらない。そんなモノです。
東桜でトップになる=山東の下の下、山南・山西の下の上あたりですね。それなら山南とか山西に受けた方いいですよ。進研
模試は東桜は壊滅的点数です。
例え下賎なレベルの東桜であれ、潜在的に全国トップレベルの
偏差値を記録する能力を持っているのが、何人か存在する。高校が、高校でセンター試験に向けた教科書教育にばかり力点を置き、
偏差値勝負の生徒の芽を摘んでいる。教科書教育のメリットとしては、推薦入試の駒を作れる事のみ。本気で大学を自力で目指すなら、高校の授業は赤点取らぬ程度に構え、
偏差値を高めるべく、予備校が編集した参考書に力点の比重を高く置き、自分なりの対策を練るのが良い。高校なんぞ当てにせず、我が道を行って正解である。レベルが、レベルの高校なので、大学入試に必要な書類の発行所。位に考えて正解。
高校側が課して来る課題は、大学の一般入試には全く役に立たんので、最低限だけをクリアすれば好い。推薦入試で受験するつもりであれば、幾分か役には立つ。高校の目の前にぶら下げる、展開する授業も、
偏差値をアップする材料にはならない。だからこそ、最低限の労力でかわすのがベスト。信ずるに堪えるのは、自分が計画的に作戦を立て、実行する学習のみ。そもそも、高校頼みでは何も達成できやしない。だからこそ、勇気を持って、高校に対しては無視をお勧めするのだ。まともに、高校が主張する言葉を鵜呑みにしてたら、体が幾つあっても足りないので、マイペースで必要な教科、科目に絞って、
偏差値の上昇を考え、赤点だけを避ける勉強に、力を注げば良いだけの話。推薦入試を考えるより、自力本願の対策がベストだ。
生徒、諸個人の能力及び、適正を考える能力が高校に存在しないし、その気も無い。そのクセ、プライドだけは一人前。実に、ハチャメチャな状態のみで、授業も、学習もあったもんでない。三年間の時間のロスばかりであり、何も獲得できない学園生活でしかなく、進学先として考えるのは、疑問符だらけで、積極的にはお勧めできない。大学への進学、特に名の知れた所を目指す者には、全てが不向きな環境。看板の書き換えのみで、一流になれるのであれば、何の苦労も要らない。無駄な労力ばかりを求める校風は、一朝一夕で改まりやしない。「進学校」なる甘言をホイホイ受け入れないのが得策。地域として、一流と主張したい気持ちも、理解できなくも無いが、実質的に三流から、五流。尋常な有様には、果てしなく遠い。
理想としては、中等教育は数を絞り、質を高めていくのが最善の策。要するに、フランスのリセや、ドイツのギムナジュウムの様に、本当に「学問」する意欲があり、「学力」があり、経済的に余裕のある階層の者に、「学問」を与え、教育するのが本道。目下の日本の高校生の場合、卒業証書が欲しいだけ。情けない限りの現在。欧州と日本では、コンセプトが余りにも、違い過ぎている。もっと厳しく言えば、日本の高校教育は「形骸化」甚だしい。皆が平等であると思うのは、とんでもない誤り。ヒトには、それぞれの「個性」が備わっており、それに合わせた「教育」が実践できねば、高校と呼ばれる「学校」に意味は無い。翻って、東桜学館高校を考えるに、それらの諸条件を全く満たしていない。惰性のみで存在してる。合掌。