営利で人材を作るのが、私学の「建学の精神」。例え大学へ進学できなくとも、系列校へ優先的に入れる恩典がある。私学の方が、面倒見が良い。お金がかかる分。公立の高校では、そこまでできない。徒手空拳で社会に放り出すだけだ。
そもそも高校は、「義務教育」ではない。よって、勉強したくないんなら、来なくて良い。それに、時代の流れとして、「教育」はカネで買うモノになっている。所得制限付きながら、「
授業料、原則無償化」の現在、100パーセント税金で運営される公立高校の存在自体がオカシイ。少しは、
授業料を持って行かれると言う概念がなければ、生徒のモチベーションは下がる一方。与えられるでなく、勝ち取る位の気概がなければ、流されて楽な道へ行くだけだ。目下の高校生の低学力は、この辺りが原因であろう。「タダより高いモノはない」を近未来に、実感するであろう。だからこそ、「私学」が「教育の王道」なのだ。もしくは、手に職つける実業高校へ進学し、自分の「生きる道」を模索する方が、東桜へ来るより「意義」がある。
100パーセント「税金」で賄われている「組織」に未来はない。悪いことは言わないから、東桜なんぞには来ず、「学問」したいんなら、私学へ。大学進学を考えるのであれば、実業高校へ進学し、手に職つけて、自分で
学費を捻出する「道」もあるし、へっぽこ普通科高校の出身者に、「アドバンテージ」をつける事ができると考えた方が良い。回り道でなく、プラス思考で実業高校を推奨する。東桜で無駄な時間を過ごすより、そっちの方が遙かに「有意義」である。結局、望み通りの進路を達成したいんであれば、ここは無意味である。自分自身がしっかりし、学習しなければ、私学であろうと、公立であろうと、実業高校だろうと、思った所へ行けない。自分の「努力次第」なのだ。そこら辺をしっかり念頭に置いて進路を選ぶ時、高校、特に東桜は何もしてくれないし、役に立たない。
「司法で負けない限り、道義的な責任を負わない」と発言している
英語の教師が未だに高校にいるのだが、それでも面倒見は良いのか?