この春の受験生です。
内申点の救済措置、、、聞いたことありません。入学者選抜要項や選抜方法についての資料にもそうした記述はありません。
https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/kotogakko/nyugakushasenbatsu.html学校の友達は、内申点が低い場合、そのまま希望する高校を受験する選択肢もあるでしょうが、みんなランクを下げて受験していた印象です。
あっても良いのに、って話だったかな
定期的に内申点なんていらん、というような発言がみられますが、高校は義務教育ではないわけで、高校(の先生)は面倒を起こすような、学校の方針に合わないような生徒に来ていただく必要はないわけですよね。
中学校の通知表は、大人の視点からしたらそういうところがある程度見られていると思います。やはりちゃんとやっていなければ評価が下がる。そしてそれが合否に影響する、当たり前のことなので救済措置なんて必要ありませんね。
私も内申点を評価に加えること自体には違和感ないです。問題は3割という水準が妥当かどうかということかなと思います。例えば、配分を1-2割とする考え方もありますよね。
内申点は日々の真面目さに大人の観点も加わる評価点、当日点は本人の実力点だと思っています
バランス良く釣り合えばいいのですが、学校・先生によって内申点はだいぶ変わりますよね。絶対評価で誰がみても納得のいくものであればいいのですが、そうではないケースもあります。
ですが、現状この割合がベストなのかもしれません。内申点が低くヒヤヒヤした保護者のひとりですが、ここからが楽しみです。
内申点の公正性についてはどう考えているのですか?
「都内公立中学の内申点、かなり不公平だった」等によると、区ごとや教育長が変わったりすると大幅に違うという事実があります。
そもそも第三者が検証可能な評価・情報を測定・記録できるものなのでしょうか?
(出席日数、テストの特定、提出物の有無除く)
ルールを決める側にいないのであれば、決められたルールの中で勝つ方法を考えた方が生産的ですね
「ルールを決める側に・・・」と記載された方の意見に賛成です。そういった理不尽はどこに行っても起こるわけで、絶対的な公平なんていうものはないと思っておいた方がいいです。
そしてある程度社会に身を置いて生きてきた人間からすると、どのような社会・どのような組織にいても高い評価を受ける人間はいます。高い評価を受けられない人間は、やはり何か足りていない部分があると考えるべきでしょうね。高校は社会人に至る入り口と考えれば、そういった視点を持っておくべきです。
人間の評価に絶対的な基準なんてないですよ。