文理学科10高の中では9番目。ブービー文理でベッタを岸和田と争っているようなレベルだから、まぁ、関関同立や甲南、近大にさえ行けずに専門学校へ現役で進学する生徒がいても不思議ではない。それが生野。
同じ生野でも京都大学とコンピュータ専門学校で差ができる。
そして、おもしろいことに、京大に進んだ受験の成功者が大学院博士課程に
進んで、コンピュータ工学で非常に狭いアカデミックな分野で研究に打ち込み
博士号を取得したのに就職に失敗、大学教員の講師職を探しつつも、
塾講師をしながら年収240万で30歳。
一方、コンピュータ専門学校で実学を学んだT君は22歳ですぐに就職して、
プログラマーとして頭角を現す。
26歳でフリーランスプログラマとなり年収1000万超
あるいは、28歳で独立しITベンチャーを起業。年収3000万・・
こういうことが実際に起こるのが世の中だからね。数少ない成功事例を出して
そういう極端な言論をはなつのはいかがなものか?なんて嫉妬ややっかみも
含んだ意見が書き込まれるけど、高学歴で就職に失敗する人は身近にもたくさん
いたし、高卒や専門卒、名もなき大学の卒業生が仕事で成功して大儲けした
事例なんかも身近にたくさん見てきた。
だから、
偏差値ランキングを見て一喜一憂している人は現実が見えていないと思ってしまうんだよな。
そんな気になりますかね。どこの大学に何人通ったのかとか。
一種のコンプレックスなのかな?と思ったりもします。
まあ文系だとそれがそのあとの進路に直結するかもしれないからしょうがないのかな。
でも、やっぱり生野の卒業生は凄いですよ。皆が皆とはいいませんけどね。
偏差値の高い大学に合格する=意味のある人生である
という考えは、僕の頃もそうだと思いましたが、もうやめたほうが良いのでは?
これは別に負け惜しみとかそんなんではありません。
でも、実際に卒業して大学に進学して、という経験があれば納得できる話でもあると思います。
結局何をしたいのか、それがまだわからないときには、それを自分で見つけ出せる能力があるか、
ということですからね。そこの能力が附属の生徒はやっぱりすぐれていると思いますよ。
そういう訓練をしますからね。