伝統だからです。
現状内部からの改革は難しいですね。
今の時代にふさわしい、人権意識がないからです。
伝統的右翼の修猷でしょう!
この時期にする必要があるのかな?と思う。
例えば遠足後とか夏休み前や夏休み中とかならば友達もできて高校生活や電車登校などにも慣れて来て、精神的負担はだいぶん違うと思う。
出身中が多いならば助け合い支え合うし修猷館の立地的にも自分達のテリトリー無いかもしれない。
でも、自分もだが少数しかいない中学出身の子だっている。クラスにも隣のクラスにもその隣のクラスにも1人も顔見知りの人だっていない生徒もいる。しかも初めての満員電車通学で疲れ切っていた。そんなとても心細い思いで独りぼっちで毎日を過ごしている時期に更に精神的に追い込むような館歌指導をしなくてもと思ってしまう。。。
なきわめいたり…という表現に悪意を感じるのは自分だけだろうか?
本当に中学生なのか???
日本初の右翼団体である玄洋社に多くを送り込んだ、皇国史観を唄う高校だからです。
もちろん釣りです
いつもの人ですね
反面、日本共産党の政策委員長(防衛費発言で辞任)を排出しています。
輩出じゃなくて?
そうでしたね。ありがとうございます。
そんなに嫌ですか?
時代に合わないと言われたらそれで終わりですけど。
ノリですよ、ノリ。
日本共産党にとっては、排出かもしれませんが。
それで終わりでいいと思います。
あくまでも応援団という生徒が行う行事。
応援団に入部する子がいなくなれば伝統も消えるでしょう。
応援団ではなく指導員では。人を傷つけるような伝統は無くなった方がいいですね。
「生徒が自主的に行う」というのは建前かな。教師が知らない訳がない。
今は強制ではないので嫌な人は抜けれますよ
昔のやり方ではないです
表向き参加する、しないは意思表示次第となった今年の館歌指導ですが
参加して途中、もうこれ以上参加したく無いと思った時に給水の時間等が取られているならその時に申し出れば抜けれるようになるくらいの事があっても良いと思います。
予め参加しないことを表明した人を逃す事と倒れたりした人を助ける、そして撮影をされないようにする事が執行部の仕事だそうですね
泣いている子がいても執行部は倒れるまでは助けないんですね
目の前で怒鳴られて怖くて泣いている人がいても救護対象とはならない
1時間半経てば終わる事だと考えている
過呼吸、立てなくなる…そういった目に見えるある一定のラインで線引きし
涙や目に見えない心の傷は救護対象とならないって事なんですね
昨日も実際にそうだったと聞きました
撮影さえないようにすることが仕事?
誰の指導の下で、何のためにやっているのやら。
表向きは、配慮と言ってるが
結局、配慮を受けるのにもかなりの勇気がいる。判断は生徒と保護者に丸投げ。
虐待、ブラック企業、新興宗教と何ら変わらないと感じます。
度を超える同調圧力は日本の恥。
伝統と自信を持って言えるなら、指導の様を公開してみたらいい。できないのは、問題になる確信があるからじゃないですかね。
今どきですから、応援歌指導で不登校になっちゃう子もいるかもですね。
せっかく激戦を勝ち抜いてきたのにね。
こんなことと知ってたら志望しなかったという子もいるのかな?
別にそこまで気にせずに学校行事として純粋に楽しんだほうがいいんじゃないかな。最近じゃ怒鳴られることもないし新鮮で面白い伝統だと思うよー
怒鳴られることないは流石に嘘付き過ぎ
チャップリンの名言を思い出すんだ
「笑いのない一日。それは無駄な一日である」
「笑いのない一日。それは無駄な一日である」これ名言か知らんけど
ドンピシャでマイナスやんけ
プラスのやつやて
参考になると思うので勝手ながら引用させて頂きます
「今年は館歌指導について、、とハッキリおっしゃって話されました。対面式についても入学式翌日にあり心づもりをしていてほしいと。
「あくまで館歌、応援歌、エールを継承していく事が目的でありますから、体罰に相当する行為は一切行わず真摯に向き合います。又、身体的接触は養護を目的とする以外は一切行いません。教室での実施については全てのドアと窓を開放いたします。
又、指導にあたっては指導員が迫力を持って大きな声で指導にあたります。
中学と高校の差で感じるのはそういうのが強く出るかもしれません。従いまして身体的理由、宗教上の理由、ご家庭の特別な理由等がありましたら担任へお申し出ください。」
上のことを言ったのは、館長さんなんでしょうね。
違います。教員です。
大切なことを、一教員に言わせるんですね。
誰でもいいやん
そういう係の教員なんじゃないかな?
そういうことは管理職が言うべきかな、、そう思いますが。元の投稿見れば、しどろもどろさがわかりますよ。言わせられているのかな。
発言の重さ、責任のありかが違いますよ。
新一年生の娘曰く、そこまで厳しいとは思わなかったと言ってました。
それは一個人の感想ですね。問題の根源は違うところ。
当事者が証言しているだけ。
そこまで厳しいと思わなかったと。
第三者が騒ぎ過ぎ。
うちの子は、怖かったと素直に話してます。応援団の部員勧誘が館歌指導後来た時はクラス中シーンとして他の部の時とは全く違う空気が流れていたって。
指導をした人達一人ひとりのコメントも書かれた小冊子「修猷館になりゆく君に」も読みました。28人中確実に女子と思う名前が17人どちらとも取れるかもしれないと思う名前が3人。こんなにも女子が館歌指導をする側にいたのだと驚きでした。
2.3年生に聞いてみた応援歌指導とは〜というページには13の意見が載せてありその内一つには見直すべきと書いたものも載せてありました。
編集後記には
「賛否両論のある今、今年の「修猷生となりゆく君に」は応援歌指導のある意味、これからの応援歌指導のあり方について新一年生の皆さんに考えてほしいと思いながら作りました」
という言葉が光っていたと思いました。
キツイ時は無理せず
頑張っているフリしていた自分(笑)
そういう要領が良い人はいいよね...