それなりにいますよ。
国公立 早稲田 慶應
義塾 上智 学習院 明治 青山
学院 立教 中央 法政 東京理科 合計
2016年(H28) 35期(10C) 15 (3) 8 (1) 3 (0) 6 (0) 5 (1) 42 (4) 40 (2) 14 (1) 53 (5) 85 (4) 12 (0) 283(21
2016年(H28)35期(10C)
国公立15(3) 早稲田8 (1) 慶應義塾3 (0) 上智6 (0) 学習院5 (1) 明治42 (4) 青山学院40 (2) 立教14 (1) 中央53 (5) 法政85 (4) 東京理科12 (0) 合計283(21)
法政85名合格は海老高にしてはよくやった。
まあ今の法政は1990年代の日大にも満たない難易度だとは思うけど、昨今の海老高では進学実績が伸びている。
というか海老高は本来それくらいは合格できるレベルの生徒を入学時点では確保しているはず。ひと昔前は東大に15〜32人受かった時代の厚木高校に受かるレベルの学生も結構海老高に入っていたので。
>ひと昔前は東大に15〜32人受かった時代の厚木高校に受かるレベルの学生も結構海老高に入っていた
↑意味不明w
中学二年で受けるア・テストで海老高レベルで内申が厚木高校や湘南高校のレベルという意味ですね。そういう学生が海老高にも結構いました。
私もそうで、海老高出身ですが法政二高蹴っていますし、成績も中学三年の時には9と8しかありませんでした。
あと大学受験の厳しさが今とはレベルが違います。私大バブル期だったので日大でも今の上智大の下位くらいでした。今の早慶の上に東大を三科目化したような早慶がありました。海老高の大学進学率も30%台でしたよ。(海老名高校は16期です)
流通経済大が
偏差値55くらい、東京大学の併願先に亜細亜大学の国際が選ばれていて亜細亜大ながら
偏差値60くらいでした。入試の倍率も10倍超えは結構ありました。明治や中央の難易度が今の早慶くらい(もっと上かも)かもしれません。それ位競争が激しかったです。予備校も立ち見が出たり年収1億の講師がいたりしました。
海老名高校は当時から四年制高校(一年浪人するのが当たり前)と言われていて、入学時の成績の良さの割りに進学実績がパッとしませんでした。(私はその後海老高で頑張って一流大学へ進学できましたが…)
まあ学歴云々の時代ではありませんが、後輩達には学生生活を楽しみ、同時にしっかり勉強してほしいと思います(ストレートな表現で忌憚なく書いてしまい、すみません)。
今の学生さんは競争が私の時代よりだいぶ楽です。私の小学校の生徒数は私が在籍していた時代の約半分になっていて驚きました。大学受験人口も私の時代の6割くらいで、それでいて定員は6割にはなっていません。私の時代は浪人するのがある意味当然でしたが、今は浪人する学生があまり出ませんから、代ゼミも校舎を大量にリストラしましたよね。
このように、大学受験では選抜できませんから、大学入学した後も目的意識をもって学んでください。楽に入れる分、そのあとにも競争は続きますので。
結局自分次第ですが、放任主義から進学実績重視に母校の海老高が方針転換したのは、私は良いことだと思います。
昔はア・テストという中学二年での全科目テストがあり、中学三年の内申点と合わせて入試前に7割のウェイトを持つ部分が決まっていて、入試自体は3割しか配点がありませんでした。
加えて学区制があって学区外を受ける場合は一ランク上の成績を取らないと受かりませんでした。
中学三年の成績(内申点)が全体の選抜ウェイトの5割を占めていて、しかも音楽や体育などの重みづけが
英語や
数学などよりも大きかったことから、東大にバンバン受かっていた当時の厚木高校や学区外で湘南高校を受けるための内申点の水準が高すぎて、さらに学区内でないと受けられないに近い縛りがありましたから、結果的に二番手高校でも学力レベルの高い生徒がたくさんいました。
厚木高校にも今でいう翠嵐レベルの学生もたくさんいましたし、海老高にもレベルの高い学生がたくさん流れていましたね。
ひと昔前の厚高や海老高と今のそれとは、レベルは雲泥の差です。
昔は海老高は大和高校と同レベルだったのに、今はすっかり抜かれてるではないか!
和高と同レベルで見ないでください
たかだか二番手校の崩れ寄せ集めみたいな学校と旧トップ校を一緒にすんな
親の世代では大和はちょっとレベル高い学区の二番手レベルだったからそう思うのも無理はないです。
時代は変わって海老名と大和がどっこいではなくなりました。
まあでも結局大学受験で本当の差が付くから高校受験程度じゃまだまだ始まってもいないけどね。