経緯、詳しく教えて下さりありがとうございます。他にも優秀な私服校が多い中で、何故豊中だけ実績が落ちたのか不思議ですね。私服校=自主規律の出来る優秀な生徒が多い、と言う印象を持ってるので。何か他に原因があったように思えるのですが違うのですか?
考えられる要因として、学区制の変遷や内申点の相対評価、中高一貫校・教育大付属など国立に流れていたと思います。
あと、豊中は後期入試・千里が前期入試で優秀層を獲得できた時代があったことも、一因として考えられます。
前期・後期の廃止や文理学科ができて、千里へ行くメリットがなくなったことにより、千里から阪大のパイを奪いました。
あとは、北野があまりにも難しくなりすぎて、上から玉突きが起きて、これでも多少は阪大などのパイが増えます。
まあ、先に茨木へ流れますが。
あと、当時は高校入試に男女比が設定されており、男女によって倍率は異なりました。
そのため、女は男に比べると入りやすく、かつ
数学・物理を避けて文系を選ぶ人が多いため、結果的にセンター試験を諦め、関関同立や同志社女子、武庫川女子などへ行く人も多かったです。
今は男女関係なく成績順に合格させるそうなので、公正な競争市場であることも、あるかもしれません。