>出典をお教えください。
『旗立』第73号
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旧制一中(現仙台一高)出身者
【陸軍中将】広野太吉(中10回)、磐井虎二郎(中11回)
【陸軍少将】山口十八(中2回)、大泉製之助(中4回)、伴甲藏(中5回)、佐藤正(中6回)、佐藤進(中9回)、斉藤春三(中10回)、竹内貞郎(中11回)、加藤守雄(中16回)
【陸軍軍医中将】伊吹月雄(中17回)
【陸軍軍医少将】笹野正人(中4回)、氏家参顕(中4回)、国友国(中6回)
【海軍大将】井上成美(中13回)
【海軍中将】下村正助(中10回)、紺野逸弥(中15回)
【海軍少将】若生繁吉(中4回)
【海軍軍医少将】氏家孝次郎(中6回)、深田貫一(中13回)
>【海軍大将】井上成美(中13回)
/*『年表 仙台一中一高の百二十年』
(190ページ)
平成5年(1993)2月8日
創立100周年・新校舎落成記念式典(仙台サンプラザ)
記念講演 東京
大学法学部教授 樋口陽一氏(高5回)
「少数意見の名誉 井上成美先輩に学ぶ」
「最後の海軍大将」井上成美氏(中13回)は、山本五十六、米内光政と共に海軍のリベラル派として知られ、自ら校長を務める海軍兵学校では、海軍省の通達を拒否して敵性語である
英語の教育を継続。戦前は、戦争が起こらないようにするのが軍の仕事であるという信念に徹し、また戦争末期には、国体護持に執着せず一刻も早く和平を結ぶべし、と生命の危険をも顧みずに主張。このような井上氏の姿勢を、樋口氏は「少数意見の名誉を守り通した」と評価、一中一高のみならず近代日本の100年の中でも抜きん出た人間像を示している、と述べて講演を結んだ。
井上成美氏の名は「しげよし」が本来の読み方で、「せいび」は通称。明治35年、一中に入学。4年進級時、転居により二中に編入。5年生の中途で海軍兵学校進学のため二中を中退。よって井上氏は一中・二中両方の同窓生となっている。戦中は少数意見を貫き、戦後は他の元将校が民間企業の要職に就く中、一切の就職を固辞して清貧に甘んじ、8月15日には必ず断食をした。その生き様は、正に一中魂の顕現と言うべきであろう。
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/*『教育余禄 −続でもしかの記−』元二高校長・元仙台
大学教授 仁科博之
(147ページ)
仙台が生んだ偉人・最後の海軍大将井上成美
旧制仙台二中(現、仙台二高)7回生の井上成美海軍大将の伝記については数種の書籍が刊行され、その識見と信念を貫き通した生涯が紹介され、世に大きな感銘を与えている。
仙台二高では、昭和59年9月1日(土)、『井上成美』(新潮社)を執筆された、阿川弘之氏を招き講演していただいた。(仙台一高では、創立100周年記念に、樋口陽一東大教授が、先輩井上成美について講演した。)
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