国立大学を受験する場合、センター試験を課されるのだが、教科書の内容すら十分に理解されておらず、国立大学の合格組でも、平均で6割いくか、どうか。二次試験で学科の試験を課された場合、山形大学を除いて、ほぼ全滅。教科書の内容すら、ロクに頭に入っていないため、山形大学程度が関の山。東北大学などには、到底合格できない。現役の三年生全員が、センター試験を受験して、平均で8割を取らなければ、真の意味において、進学校とは言えないだろう。
そもそも、センター試験んで問われる問題は、教科書の範囲内である。よって、6割程度の得点率では教科書ですら、マトモに身についておらず、大体の場合、教科書以上を求めてくる国立大学の学科試験に対応できずに、山形大学レベルの大学にしか合格できない。教科書で手いっぱいであり、それ以上は、自分で学習するしかない。高校任せでは、十分な結果は得られない。自己防衛をしっかりとやらなければ、思ったような大学には、なかなか進学できない。現状、そんなモノである。
少なくとも、山形大学レベルの大学であろうと、教科書の応用力を二次試験の学科試験で試される。有名所の国立大学では、それ以上を求められる。例えば、京都大学のように
数学においては、旧、旧、旧課程の出題を宣言している。つまりは、「ゆとり教育」以前のレベルを問うと、願書に書いてある。と同時に、単なる知識は敢えて問わない、応用力を見る。とも、宣言している。私立大学の受験に際しては、
偏差値が高くなれば、高くなるほど、何でもアリになり、教科書なんぞ、何の役にも立たなくなる。いづれにしても、教科書ですら、十分に理解されていない現状で、
進学校を名乗るのは、力量不足が甚だしく、本物の進学校へは、遠い道のりであろう。そこの所を教職員、生徒に十分に認識してもらう、必要性があると思うのだが、現実、そうでない。
中高一貫になろうが、スーパー・サイエンス・ハイスクールになろうが、県教育庁、教育委員会、現場の管理職、教職員は、一切、責任は取らないのである。現場は、結果が出なくても、頬かむり、教育庁、教育委員会は人員の入れ替えで、誰も責任は取らない。お上の教育、お役人の教育で結果を求めるのは、無駄な行為なのである。ハイレベルの高校に、中学を併設するなら意味があるが、中途半端なレベルの高校に、付属の中学を設置するのは、本当に無駄な行為なのである。このような状態にある高校は、全く信頼できない。私学の教育の方が、よっぽどマトモである。まあ、そんな有様で運営されている高校なので、全然、期待はしていない。このような高校に通うのであれば、手に職付ける実業高校へ行くか、大学を目指すんであれば、私学へ行った方が良い。
「明日のパン」を必要とする者は、教育を受ける資格がない。ブルーカラーで、サッサと働け。高校は、弁当喰って、遊んで帰る場所でない。「青春の一ページ」とやらを楽しみたい連中には、持って来いの高校である。総花的教育にはなるが、内容を伴っていないので、愚か者の巣窟。大体、現在の高校のレベルの学習ならば、独学でトップクラスの成績を弾き出せる。それすらできない奴を飼っておくのが、この高校の最大の特徴。マトモな大学へ進学するには、不向きな学校である。このレベルの高校に進学するのであれば、実業高校に行って、手に職付けるか、大学へ行きたいんであれば、山形市内の私立の高校の特進科を推奨する。意味のない、公務員教育しか、ここでは実践できない。自分の未来を考えるなら、ここは何ら、得られるモノのない所と思え。
そもそも、教職員、生徒の質が悪いのだから、結果なんぞ、出せやしない。単位制高校のメリットをほとんど活かしていない。一つの科目に対し、複数の教員が乱立できる訳でなく、生徒のレベルに応じた単位を考えておらず、一律でしか教育ができていない。まあ、「ハイレベル
数学」、「ハイレベル英文解釈」てな単位を設置しても、極少人数しか、付いてゆけず、コスパに合理的でない。と判断され、設置は見送られる。そんなんで、東大、京大、早慶への合格を掲げるのは、誤りだと思う。だから、現在の有様なのだよ。付属の中学から、何人、高校へ上がってくれるかは分からないが、競合する付属以外の生徒の質によって、変化してゆくと思うが、現在の高校の有様に絶望して、フリーエージェントを宣言し、山形東、山形西へ
進学する者も、数多、存在するだろう。その位、現在の高校は情けない成績なのである。