県立の伝統校としての認識はあるでしょう。
浦高 一中 浦和中 県立浦和高校
熊高 二中 熊谷中 県立熊谷高校
川高 三中 川越中 県立川越高校
春高 四中 粕壁中 県立春日部高校
・1978年までは隣接学区受験フリー(学区によっては人口規模でほぼ県内全域から通える=浦高)、県境を超えて入学できる(熊高が群馬から、春高が茨城と千葉から)
・1979年からの2003年までは共通通学区域を持つ学区制(浦高は県西部と県北から通えなくなり、熊高と川高は旧1学区南部から通えなくなり 浦高と春高は共通通学区域) 県境を超える入学の制限(熊高がターゲット)
・2004年からは学区撤廃 県内どこからでも通える(全国25都府県が公立高校の学区廃止 2003年の学校教育法の学区規定の削除で学区廃止が可能となる)
入試制度の変更によって進学校の実績やポジションが変更になり、浦高も熊高も影響を受けました。
都立日比谷高校がもっとも顕著な影響を受けました。
都立学校群制度前の卒業生
東大新聞アーカイブおよびサンデー毎日アーカイブから引用
1964年 第16回新制東京大学第入学試験結果(志願者9,950人、合格者2,673人)
TOP10
日比谷高校(東京)193 西高校(東京)156 戸山高校(東京)101
新宿高校(東京)096 教大附高校(東京)088 小石川高校(東京)080
麻布高校(私立)078 両国高校(東京)063 灘高校(私立)056
教大駒場高校(東京)052
TOP11~20
湘南高校(神奈川)048 開成高校(私立)042 上野高校(東京)040
浦和高校(埼玉)037 小山台高校(東京)032 栄光学園高校(私立)031
旭丘高校(愛知)028 高松高校(香川)026 九段高校(東京)026 広大附高校(広島)025
1965年 第17回新制東京大学第入学試験結果(志願者9,864人、合格者2,827人)
TOP10
日比谷高校(東京)181(京大03人)西高校(東京)127(京大03人)
戸山高校(東京)110(京大04人) 麻布高校(私立)091(京大01人)
教大附高校(東京)087(京大03人)新宿高校(東京)071(京大04人)
灘高校(私立)067(京大53人) 教大駒場高校(東京)066(京大01人)
小石川高校(東京)063(京大02人)
TOP11~20
開成高校(私立)055(京大02人)浦和高校(埼玉)051(京大00人)
湘南高校(神奈川)051(京大04人) 旭丘高校(愛知)048(京大53人)
栄光学園高校(私立)047(京大01人) 小山台高校(東京)046(京大06人)
両国高校(東京)042(京大04人) 上野高校(東京)040(京大01人)ラサール高校(私立)039(京大08人) 広大附高校(広島)036(京大13人)武蔵高校(私立)034(京大00人)
学区制撤廃で熊谷は浦和の犠牲になった。
この事実を忘れてはいけません。
犠牲も何も事実は1979年の学区制導入前は隣接学区受験フリーで、ほぼ今みたいな学区廃止状態でしたが。
県北からも浦高を普通に受験でしてましたよ。
学区制導入でで無理矢理、浦高が受験できなくなって、今度は学区撤廃となったら犠牲って、言いがかりもすぎます。
そういうことばかり言っても再上昇はしませんよ。
熊高が下がったのは、学区撤廃前からで、学区撤廃で急に進学実績が下がったわけではありませんん。
>学区制撤廃で熊谷は浦和の犠牲
>この事実を忘れてはいけません
事実誤認があります。
事実を知らない人がいるから、そういう主張が通ると思っているのですか?
残念ですね、あなたの主張は詭弁です。
というか、県立高校の入試制度変更の推移に無知なのか、あえてスルーしているのか。
・1979年の学区制導入前までは隣接学区受験に制限がなく県北の熊高の通学区域からも浦高を受験できていた。実際に入学者もいた。
・学区制導入で隣接学区受験が制限されて浦高を受験できなくなったが、学区制末期には熊高の大学合格実績は下がっていたこと。
・学区廃止で再び、浦高を受験できるようになったが、浦高に加えて大宮高やさいたま市の私立校にも県北から来ていること。
・学区制導入前と学区撤廃以降に県北から浦高に来ているのは毎年10名ほどで数字が変わっていません。
・県北の人口減少、受験生減少で学力上位層が減った。
結論は、
今まで一度も県北から浦高を受験できない時期があって、いきなり学区撤廃で受験できるようになったのではなく、1979年から2003年までの25年間だけ受験できなかっただけです。
つまり空白の25年間以外、1978年までと2004年以降は県北からも浦高を受験できるのが埼玉県立の入試制度です。
あなたの言う犠牲の論理は破綻しています。
県西部からの浦高への受験制限と川高の置かれた状況も、学区制導入前、導入後、学区撤廃後で熊高と同じです。
あなたのいう「犠牲になった」という詭弁は通用しません。
あなたが犠牲を口に出しても、それには根拠がありません。
埼玉の県立入試制度の変遷が基本知識
「今まで一度も県北や県西部から浦高(浦和一女)を受験できずに、いきなり学区撤廃で受験できるようになったのではなく、1979年から2003年までの25年間だけ受験できなかっただけ。
つまり空白の25年間以外、1978年までと2004年以降は県北からも県西部からも浦高(浦和一女)を受験できるのが埼玉県立の入試制度」
「学区廃止で再び、浦高(浦和一女)を受験できるようになったが、浦高(浦和一女)に加えて大宮高やさいたま市の私立校にも学力上位生徒が来ていること」
「学区制末期には県立進学校の難関国立大学進学実績は下がっていたこと」
「少子化に伴う人口減で受験生人口も減り、高校受験時の高学力層が減った。そして公立中学の高学力生徒の分布には地域的偏りがある」
公立の小学生と中学生に生徒の学力の地域格差があり(どの地域にも均等ではない)、少子化と人口減で人口の多い地域との地域差が拡大。
鉄道の便が良くなり、将来の大学受験を考えた場合に地域の公立高校にこだわらずに他所の公立高校や私立高校に出ていく。保護者も後押しする。
大都市部だけでなく、地方の県においても公立高校の選択肢を増やす流れになっていること。
鉄道事情、鉄道網の改善で遠い学校でも通いやすくなった。受験生だけでなく、保護者も地域内だけの選択ではなく、地域外を積極的に選択するようになった。
少子高齢化の人口減は避けられず、地域の人口が減り続けて受験生も減る地域の公立高校の学力向上の可能性は高くない。
埼玉も東京隣接地域と、そこから離れた地域では、受験生の学力や高学力生徒の分布には
格差がある。
熊高の進学実績だけで言えば、1979年学区制導入時の初期に川高に抜かれ、学区制中盤で春高にかわされ、最後のころは大宮高にも抜かれていた。
すでに学区廃止前に学区制導入前の往年に実績ではなくなっていた。
むしろ学区制導入以降に下がったので、その後の学区撤廃だけの問題ではありません。
県立の伝統高校であることは知られているので、そこはOB達も歯がゆいのでは?
熊高が浦高に次ぐ高校だった時代も特に気にかけてはなかったと思います
気にかけてなかったかもな、でも同じ旧制中出身の学校としてお互いを尊重していたかもな。
他校への敬意のないような書き込みはいかがなものか。
一部の部活や応援団には熊谷高校との交流はある。100年に一度の熊高戦もある。
長距離の強歩もベクトルは違うが、互いに綿々と伝統を継いでいる。
いろいろな面で同じ伝統男子校としてのシンパシーは持っているよ。
大宮高校はライバルですか?
質問しなくていいから、これでも見てて
2019東大京大国公立医(重複なし) サンデー毎日 週刊朝日 4/28
埼玉
85 県立浦和
29 栄東
21 開智
21 大宮
11 川越
10 浦和一女
10 春日部
6 明の星女子
6 西武文理
4 浦和市立
3 川越女子
3 熊谷
3 伊奈学園
3 秀明
3 開智未来
2 川越東
2 本庄東
2 大宮開成
1 城北埼玉
1 昌平
1 春日部共栄
1 越谷北
1 淑徳与野
1 本庄第一
1 狭山が丘
ライバルとして大宮高校と競うものはあるかなあ?
川高の門班や熊高の40キロハイクのようなものがあればねえ。
入学
偏差値や倍率は不合格者を含めた受験生によるもので、その高校の在校生や卒業生が成し遂げたことではないよね。
とにかく謙虚に。当たり前だが
人間的魅力もあり実力がある人になってほしい。高校のレッテルなど、本来は瑣末事に過ぎない。
大宮高校は共学だからね。倍率が高くなるのは当然だし、進学実績で男しかいない浦高が悪くなるのは考えられない。比べられないんだから自分の好きな方に行けばいいし、進路も自分次第。どちらも下だと悲惨。
大宮高校は今世紀に入ってから躍進した学校だから、浦高や質問の熊高のように伝統校で多彩な卒業生がいて、という感じではないよね。
浦和と熊谷じゃ遠いからなぁ
まだ春日部とかの方がシンパシーとかはあったのかな