勉強では二高に負け、スポーツでは三高に負けています。どこが「さすが」とか「なんでも」なのかわかりません。
おまけに、文化祭でのAV事件。
生徒の精神年齢の低さと人間形成の未熟さ、それをかばう馬鹿なOBや保護者や関係者たち。
今の一高に良いところなんてあるの?
甘やかされて、ムチャクチャやるのが一高らしさ、一高は何をやっても許される、と変な思想に毒されて、それが伝統だと洗脳されて、そのままほとんどの生徒は二流三流大学にしか進めず。
はっきり言って、一高の存在意義はもうないね。
いまや仙台の汚点でしかない。
自作自演お疲れさん
あなたどこの学校?
↑三つの同一者
そんなことして恥ずかしくない?
全くの別人だがね?
妄想癖でもあるのかね?
君みたいなのがいるから一高は落ちぶれたんじゃないかね?
上に各校の特徴が書かれていますが
二高は勉強、三高はスポーツって決
まった印象が定着してるんですね。
一高って結局、勉強もスポーツも
できるってことでしょ?
バランスが取れてていいと思うけど。。。
前期7倍オーバーはダテじゃないと
思うよ。
前期の倍率が超高いのは、評定の設定が無い事だけではなく、多くの他校のように前期の定員枠を3割に増やさず、2割のままで変更していないからですよね?
一高が前期の定員増やさないのは、校長先生の考えなのかな?
↑時代に流されぬ・・・・。
ということでは?
3割でも驚異の高倍率ですよね。。。
二高どころかtype1や三高にも勉強で抜かされていますが...
↑それでも質問者は一高信者なんだろ(笑)まぁ誇りに思うのは自由だからな
>「なんでも一高」
これは旧制中学時代の小平高明・第九代校長(大正九年(1920)〜昭和17年(1942)在任(22年間))が言い出した。
#『青春のうた 仙台一高』83ページ
当時の校長、小平高明は「なんでも一中が一番」をかかげ、成績が悪く、運動選手でない生徒については「転校」をすすめ、多くの生徒が退校していった。
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#『青春のうた 仙台一高』276ページ
第一に校長は有名な小平校長であって、「何でも一中」をモットーとして特に野球には心血をそそがれ、乏しい部費に対しては、奨学会のお金を出してくださった。
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#『仙台一中、一高百年史』236ページ
[”何でも一高””実力ある四〇〇番”]
昭和も三十年代に入り…
多数の大学合格者を出すことも相まって、”何でも一高”の合言葉が生まれ、校内には若者の活気が溢れていた。
#
実は二高でも同様のことを言っている。
#『仙台二高八十年のあゆみ』94ページ
#『仙台二中二高百年史』115ページ
同年(昭和33年)の東北大学合格者は一四〇名を数え「何でも二高」を謳歌した。
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今は「何にも一高」だけどね。(涙)
何でも一高とかの言葉を知ってるってことは関係者なんだろうけど在校生ではないでしょう。いくら何でも露骨すぎ笑
在校生でも関係者でもないと思われる。
何となく見当はつくけどね。
「何でも一高」の歌
(「明るいナショナル」のふしで)
明るい一高 明るい一高
勉強 クラブ
何でも一高
(「明るいナショナル」:
https://www.youtube.com/watch?v=qJb7IVtonik)
もし本当に在校生なら有志演説してほしいです
以下、宮城の高校の東大合格者数の速報
8 仙台二華
7 仙台第二
2 仙台青陵
1 仙台第一、仙台第三、聖ウルスラ英智
一高は二華、二高、青陵に次いで県内4位で三高、ウルスラと一緒。
「なんでも」というが、育英や東北に勝てる運動部はあるか?
なんでも一高!なんて戯言を言っている人達、はやく目を覚ませ。宮城という狭い範囲に限定しても、一高にはなんにも一位になれるものがないぞ。
四年制高校などと揶揄されることもありますが、今年も旧帝大以上の合格者はそこそこなんじゃないですかね。
ほとんど浪人の実績だけどな。