いえいえ
たくさんと言えるほど多くはありませんよ。
年々、多くなってきてるのは確かです。国立附属蹴りが圧倒的に多い感じがします。
偏差値70の高校が言うことではありません。
たまたま。
別に強がんなくてもいいよ。
偏差値70だって十分すぎるくらい立派だし。このクラスになると、むしろ、高校の3年間をいかに過ごすかです。
まあでも慶応や学芸附属は自分の力試しに受けて
受かって蹴って翠嵐でトップ層にいる人、私は知っている。
そんなに自信がないの?
他の格上の高校に合格したにも関わらず、翠嵐に入学したことが自慢なの?それって、格下の翠嵐が格上の高校に近づいたって喜んでるだけで、滑稽だよ。
翠嵐自身は、誇れること、自慢できることはないの?
自信がないわけじゃなくて
自信があるからこその選択だと。
開成いくのも慶応いくのも
学大附属いくのも本人の自由。
翠嵐にいくのも本人の選択。
個人に対して、思うことはあるが、言うことはない。
しかし、翠嵐と言う高校は、他校との比較でしか、語ることはできないのか?
他校を蹴った生徒が入学するから、翠嵐ってすごいんだぜ、だけでは哀しい。一番やオンリーワンの要素はないのか。
国家であれ会社であれ学校であれ
個人の集合体、いわゆる組織に過ぎない
人の集合体である組織に
それ以上の意味を持たせる必要はない。
個人が目標を達成すれば
結果として組織も目標を達成する。
もともと個人も組織も哀しい存在であることを
受け入れるべきである。
>個人が目標を達成すれば
結果として組織も目標を達成する。
これは、個人の目標達成と、組織の目標達成がイコールになるのはごく稀でしょう。
極端な例ではあるが、三年生全員が就職希望となり、全員が就職した、詰り進学者零のとき、「進学校」としての翠嵐の目標は達成されたと評価しなければいけないのか?評価したら進学校としての翠嵐の否定ではないか。
個人と組織の目標は、質的に違ってしかるべきでしょう。
ましてや、今の話題は、
個人は翠嵐への入学、つまり高校受験の際の個人目標であり、
組織は翠嵐の卒業、つまり大学受験の際の組織目標でしょう?
一致はしないでしょう。
まさか、組織目標は、優秀な入学者の確保のみで、出口に関しては設定されていないなんてことは、ないと思いますが。
>開成、慶應あたりを蹴ってくる
↓
一般的に「蹴る」という表現はいかがなものか?
翠嵐が意味を帯びた組織だというなら、
他校もまた同様の組織である。
翠嵐は優生学的な考えを持った組織なのか?
翠嵐だけが選ばれし者だけで構成された組織なのか?
他校に対してリスペクトを感じないのか?
言いかえれば失礼だとは感じないのか?