クイズ研究部とか、料理部ですかね
川越高校では、先生たちは、勉強よりも、部活をすすめます。その割りには、大半の部活では、<生徒は自主・独立>なので、先生たちは「顧問」になっているだけで、生徒の面倒味は悪い。だから、【籍を置くだけ】でも大丈夫です。また、音楽大学に進学するのでもなく、スポーツ選手にもならないのに、一浪くらい気にせず、熱中する部員もいます。しかし、熱中する部員は、【籍を置くだけ】の部員のことも気にしませんので、【籍を置くだけ】でも大丈夫です。
>先生たちは、勉強よりも、部活をすすめます。
これ何年前の話しなの?
>大半の部活では、<生徒は自主・独立>なので、
自主・自立だよ。
>先生たちは「顧問」になっているだけで、生徒の面倒味は悪い
何部のことなの?全体の何割の部活?
本当に卒業生ですか?
自由放任・自主自立・自主独立と言葉は様々でも、先生たちが「生徒の面倒は見たくない」と間接的に言っているような気がします。この点、私立高校は、
学費の高い分、親身の指導を強調することも多いようです。ところで、日本社会では、[一億総中流社会]から【格差社会】への変化が指摘されています。このままでは、「川越高校?あの学校は生徒への面倒見が悪い。だから、選択するのは、何だかんだ言っても、裕福でない家庭の息子たちだ。川越の街でも【格差社会】が到来したんだなぁ」と、洞察(どうさつ)力ある有識者が嘆く日が近い、と思えてなりません。
>学区制の導入により川越高校を無理に進学校に見せかけたけど、教員の質など中身が伴わなかった。だから、仕方なく入学した川越高校は、部活でもろくな目にあわず、勉強でも役に立たず、悪い高校だった、と思っている。そして、自分は運が悪く、さらに、埼玉県立高校全体も悪い、と不信感を持っている。
これが本音でしょうか?あなたの不本意入学はお気の毒でしたが、同じようなことを何度も書き込むのは、逆効果になってしまいますよ。
川越高校の生徒に、裕福でない家庭の息子が多いことは確かでしょう。しかし、県立高校と私立高校で、先生がもらう、お給料は大差がないはずです。だから、
授業料の安い県立高校の教育の質が、
授業料の高い私立高校よりも悪い、ということはあってはならないと思います。
映視研てまだあるのかな。
川越高校は、昭和40年代の学園紛争の頃、<自由放任>を校風とし、私服通学となりました。その頃は、<自由放任>は「優秀な生徒は、〔ホッタラカシ〕にしても、難関大学に合格し、部活動もちゃんとやれる」という非常に良い意味で使われていました。ところが、昭和50年代になると、きめ細かい指導を強調した私立高校が台頭、難関大学の合格者数や各種運動競技会の上位入賞者数などで、目覚しい実績を上げ始めます。すると、自由放任を「生徒を〔ホッタラカシ〕にして、ただ遊ばせておくだけ」という、それまでとは、まったく、違う意味で使う人が出てきました。
川越高校自身も、世間体を気にしてか、最近は、<自由放任(悪い響き)>という言葉を使わず、<自主自立>という言葉を使うようになりました。しかし、一般人の中には《埼玉公立男子校は生徒を遊ばせておくだけ》というイメージをお持ちの方もいるでしょう。そうした中、格差社会において、川越高校が、教育熱心で経済力ある保護者から選択されるためには、<自主自立>から<きめ細かい指導>を強調した校風に転換することが望まれます。
籍を置くだけで、活動をまったくしなくて許される部活は、ないと思うけどなぁ。
求められる教育水準は、時代により変化します。江戸時代は、庶民の教育は、寺子屋での読み書き程度でした。だから、明治・大正時代に教科書を使い、スポーツまでさせてくれる川越高校は、地域の(あこがれ)だったと思います。しかし、昭和(戦後)になり、教科書以外に、参考書や問題集を使った授業をし、スポーツも実技指導をしてくれる私立高校が、成果(数字)を挙げ始めます。そうなると、(あくまで相対的な話なのですが…)、教育熱心で経済力のある保護者から、昔のままの川越高校の教育が、低く(いい加減と)評価される、ということなのです。埼玉県立男子校の関係者も、この点を正しく認識し、格差社会において、地域から取り残されないよう、現代に求められる最高の質の教育を追及して欲しい、と思っています。
世界史で、フランス革命(1789年)以前のフランスでは、大貴族や富豪の息子は、
家庭教師に付き、スポーツ(乗馬)の指導を受け、のんびり大学に進学し、その後、宮廷の高位高官になります。一方、平民(第三身分)は、あくせく苦学して、大学に進学しても、貧しい田舎の教会の牧師になるのがやっとです(参考:アベ=シェイエス著:「第三身分とは何か」岩波文庫)。これほど極端ではないにせよ、現在の世界の大半の国々は格差社会です。したがって、日本(川越の街)が格差社会になったとしても[2017/07/13(木)]のように「県立高校に入学するのは、何だかんだ言っても、裕福ではない家庭の息子たちだ」と嘆く必要はありません。ただ、川越も普通の街になった、と冷静に認識すべきです。
最近では、私の住む都内(中野区あたり)でも、高所得で教育熱心な保護者は、子供をさっさと六年制一貫教育の学校に入学させる。一方、都立高校では、生活保護世帯の
授業料無償化の動きなど《格差社会》のイメージは強まっています。埼玉でも、六年制一貫教育の学校へ学力の高い子供の流失が続く。その一方、地元の県立高校では、受験勉強指導などヤル気のない教員・遊び好きの生徒・古い建物校舎・衰退する母校の現実を直視できず、盲目的な礼賛を続ける在校生の保護者と卒業生・・・・・・。こんな《格差社会》のイメージは埼玉県でも、ゆっくりと、しかし確実に定着してくると思います。
自分のブログでも作ってそちらでどうぞ。
明治政府は、日本を先進国に育てるため、国立大学や公立高校などを通して、人材を吸収する方法を採用しました。そのため、公立高校では、安い
授業料で質の高い教育をうけられるような政策的配慮をしました。ところが、昭和50年代には日本は先進国の仲間入りをしたので、公立高校では、安い
授業料で質の高い教育を受けられる、という政策的配慮は不要になっていきます。
上記の政策的配慮が無くなれば、質の高い教育を生徒が受けられるかは、保護者が学校に支払う対価(
授業料)次第(しだい)という経済原則に従うのは当然です。したがって、高い
授業料を払えば新しい建物や施設の学校で、やる気のある教員から学業も部活動も充実した指導を受けられる。逆の安い
授業料の学校では、古い建物や施設で、やる気の無い教員からホッタラカシにされてしまう、という最近の格差社会の傾向は、むしろ、自然の流れと言えます。
>昭和50年代には日本は先進国の仲間入りをしたので、公立高校では、安い
授業料で質の高い教育を受けられる、という政策的配慮は不要
現時点でも海外の先進国では公立高校の
授業料は全て無料。
しかも、進学校に関しては入試選抜制を維持し、伝統的な公立進学高校、新設の公立進学高校とそろえているのも海外の先進国。
先進国ではい
授業料で質の高い教育を受けられる政策をずーっと続けていますが、何か?
5chのお受験板、浦高スレに
授業料無料の海外の入試選抜制公立進学高校の事例が飽きて見る気も起きないほど、しつこいくらい何度も書かれているので、そちらをどうぞ。
アメリカ、英国、フランス、オーストラリア、ドイツ、中国、など。