それこそ20年くらい前から公立トップ校の滑り止めであり続けたわけだからあんまり変わらない気が.....
それに文理学科設置校でも、4学区制のときに各学区のトップ校だった北野、大手前、天王寺、三国丘に茨木を加えた5校を除くと明星と大して変わらないし。
30年以上前の卒業生だが、その時代から明星は9学区公立トップ校の滑り止めだよ。特に多かったのは大手前、高津、天王寺、四條畷、三国丘との併願だったね。
ただし当時、明星は専願者が多く、併願者は公立トップ校受験者でも要注意と言われていた(合格が難しいという意味)。男子校で安全なトップ校併願校だったのが清風。桃山学院もやや安全な併願校だったが、
偏差値は高かった。
女子校はプール学院>大阪
女学院>四天王寺の順番に難しかった。プールの凋落と四天王寺の躍進には驚いているが、俺の感覚ではプールと大阪女学院が大阪の名門女子校の2トップだな。四天王寺は未だにバレーボールや卓球のスポーツ校のイメージが俺の中にはある。
ちなみに大阪名門男子校はもちろん明星だけだ。戦後にできた星光なんかは名門とは言えない。
上の方へ。その男子校の序列は今と全く同じでは?
30年以上前の1980年代前半は、
偏差値で星光>桃山学院≧明星≧清風>上宮だったよ。
このうち星光は少数精鋭型。桃山学院は明星よりも少し
偏差値が高かったけど、定員が多かったから、公立トップ校との併願には相応しかったね。清風はもっと定員が多かったので、併願の安全校。上宮は既に凋落してしまっていたね。
大阪の男子校は1950年代ごろまでは上宮がNO1、1960〜70年代前半は桃山学院がNO1、1970年代後半に入って星光がNO1に代わり、その頃に明星も地位を上げたはず。(明星は1970年代前半までは野球とサッカーの名門=どちらも全国制覇経験あり)